「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」                     (使徒言行録4:29)

 ペトロたちは最高議会の議員たちから、「決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように」との脅しの命令を受けていたが、彼らが教会の仲間たちのところへ帰ったとき、教会の人々が祈った第一の願いは標記の言葉であった。
 教会は<権力者たちの脅しを止めさせてください>とか、<敵対者たちを滅ぼしてください>とは祈らない。イエスの御名を語ることに対する脅しや妨害が起こることは避けられない。それらを注目していて下さいと祈るだけである。教会は脅しや妨害の中でも、御名を語り続けなければならない。むしろ、願わなければならないのは、自分たちが「思い切って大胆に御言葉を語ることができるように」なることである。教会の方こそが、真の権威者を見失わないように、信仰に堅く立ち、御言葉を語り続けることを願わなくてはならない。
 また、誤ってならないことは、教会の祈りは、<語るべき御言葉を、一層豊かにしてください>とか、<語るべき御言葉の力を増してください>という祈りではない、ということである。御言葉自体が弱いわけでも、貧しいわけでもない。イエス・キリストの御名に力がなかったり、救いの御業が不十分であったり、不確実であったりするわけではない。もし私たちが御言葉に不満足であるとか、御言葉だけでは物足りないと感じるとすれば、それは御言葉自体に欠けがあるのではなくて、私たち自身が御言葉に十分接近していないか、御言葉に聴き従うことにおいて、「思い切って大胆に」なっていないからではないだろうか。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨               2006年4月9日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録4:23−31
 説教題:「教会の祈り」                   
説教リストに戻る