「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」           (使徒言行録4:19,20

 ペトロたちがユダヤの最高議会で、「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名(イエス・キリスト)のほか、人間には与えられていない」と、自由に大胆に証言したのに対し、議員たちは、恐れており、二人をどう扱ったらよいか戸惑っている。彼らは、生まれながら足の不自由な男がイエスの名によって癒されたという事実を恐れ、イエスの名が民衆の間に広まることを恐れ、自分たちに対する民衆の支持がなくなって、自分たちの権威が失われ、地位を追われることを恐れている。彼らは人の目を恐れて、神の目を忘れている。
 私たちも、日常生活の中で人の目を恐れたり、人生の大切な岐路に立った時に人からの評価を気にしたりして、神の目・御心を思わず、自由で大胆な信仰的判断が出来なくなっていないだろうか。
 では、ペトロたちの大胆さはどこから来たのか。ペトロたちも、主イエスが捕えられた時には、人の目を恐れ、イエスを知らないと言わざるを得なかった。そのペトロたちが大胆な自由を獲得したのは、復活のキリストに出会って、キリストの赦しをいただいたからである。二人は、イエスを十字架に追いやった議員たちから脅しを受けつつも、命をかけて大胆に標記のように述べる者に変えられた。それは、ペトロたちが十字架と復活の救いを経験し、それについて「見たことや聞いたことを話さないではいられない」のであり、「聖霊に満たされた」(4:8)からである。その二人を議員たちは釈放せざるを得なかった。御言葉がつながれることはないのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨               2006年4月2日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録4:13−22
 説教題:「神に従う大胆」                
説教リストに戻る