あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む。                 (イザヤ書12:3)

 イザヤ書12章は、2章から語られて来た南王国ユダとエルサレムについての審きと救いの預言を締め括る箇所で、「その日」(捕囚からの解放の日と救い主メシヤ到来の日をダブらしている)の喜びと感謝を歌っている。
 まず、「あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが、その怒りを翻し、わたしを慰められたからです」と語る。イスラエルの民がおごり高ぶり、享楽に酔い、善悪を取り違え、主の言葉を侮ったことに対して、神は怒りを燃やされ、それが捕囚の審きとなって表わされたのだが、その怒りを翻された。それは、怒りを止められるのではなく、怒りの向う先を、「エッサイの株」から出る若枝、すなわち、救い主キリストに変えられたということである。
 イスラエルにとって、捕囚からの解放は第二の出エジプトである。標記の「救いの泉から水を汲む」という表現は、荒野の旅でモーセが岩を打つと、そこから水が出たという出来事を思い出させるものであり、「仮庵の祭」の中でも、「水取りの儀式」を行って、出エジプトの救いの恵みを記念していた。
 主イエスは、サマリア地方を通られた時に、シカルの井戸でサマリアの罪の女に、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われた。また、仮庵の祭の時に、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7:3738)とおっしゃった。「救いの泉」とはイエス・キリスト御自身なのである。私たちはそこから、尽きない命の水を汲むことができる。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年3月26日 山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書12:1−6
 説教題:「救いの泉」                
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