「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」         (使徒言行録4:12より)

 ペトロたちが生まれながら足の不自由だった男を癒したことで、人々が驚いていたので、ペトロは「あの男が歩けるようになったのは、あなたがたが殺したイエスの名を信じる信仰による」と証言し、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と勧めると、男の数で五千人ほどの人が信じた。しかし一方、当時のユダヤの宗教的・政治的指導層を形成していた人たちはいらだって、ペトロとヨハネを捕え、翌日には議会が召集されて、尋問が行なわれた。
 大祭司は「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問すると、ペトロは聖霊に満たされて、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と大胆に答え、標記のように断言した。
 ここで「救われる」と訳されている語は、男が「いやされた」と言われている語と同じで、この語は、肉体的な癒しも、精神的・霊的な癒しも表わす。ペトロは、足の不自由な男を癒した主イエスは、罪という霊的な生まれながらの病をも癒され、やがて来る終りの日の審判から救い出してくださる唯一の「救われるべき名」であると語るのである。一般には<山の頂上に至る道が色々あるように、真理に至る道も色々ある>と、考えられているが、罪からの救いとなると、十字架の贖いを成し遂げてくださったキリスト以外に「救われるべき名」は存在しない。この罪の問題の解決なくして、真の平安はあり得ないのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年3月19日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録4:1−12
 説教題:「救われるべき名」                
説教リストに戻る