「わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。……イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。」              (使徒言行録3:12、16より)

 生まれながら足の不自由であった男が癒されたのを見て、人々が驚いてペトロたちを見つめていると、彼は標記のように言った。では何を見るべきなのか。ペトロは続けて、「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました」(3:15)と語り、人々の過ち(罪)の現実を見つめさせると共に、主イエスが復活されたことによって、その罪が克服されたことを見つめさせる。その上で、男が癒されたのは、「イエスによる信仰」であることを告げ、信仰を見つめさせる。ここでの「信仰」とは、この男の信仰というよりも、ペトロたちの信仰である。「信仰」は「信心」とは違う。「信心」とは宗教的な生活態度や敬虔な行為を指すが、この男を癒したのは、そのような信心の力によるのではなく、イエス・キリストに対する信仰である。ペトロの信仰を見つめるとは、ペトロを見ることではなく、ペトロが信じているイエス・キリストを見つめることである。十字架によって罪を贖い、復活によって罪に勝利してくださったイエス・キリストを見つめることである。このイエス・キリストの名によって、男は癒されたのである。
 このあとペトロは、「神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです」(18)と述べて、主イエスの十字架が神の救いの計画によることを告げ、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」(19)と勧める。イエスを十字架につけた罪は大きいが、神はその罪をも赦すために、キリスト(メシア)を遣わしてくださったのである。悔い改めて、キリスト(メシア)を信じる者は、神の祝福にあずかることができる(26)

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年3月12日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録3:11−26
 説教題:「信仰がいやした」                
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