「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」                  (使徒言行録3:1−10)

 生まれながら足の不自由な男が、毎日、神殿の門のそばに運ばれて来て、施しを乞うていた。もう四十歳を過ぎていたが、何年もその生活を続けていたと思われる。彼にはそれしか生きる糧を得る方法がなかった。彼は毎日神殿の境内に入る門のそばにいながら、門の中に入ることはなく、神殿の中で営まれる礼拝とは縁がなく、感謝や賛美とは程遠い生活をしていた。だが、私たちの生活も、神の目から見るなら大差がないのではないか。
 ペトロとヨハネが祈りのために神殿に来て、この男をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。二人は、キリストの十字架によって救われ、聖霊に満たされて、キリストが内に生きて働いている人たちである。言い換えれば教会である。教会がこの男をじっと見た。そこからこの男の変化が始まる。彼らに誇るべきところがあるので見習えと言ったのではない。教会には立派な人間がいるから来て見なさいと言うのではない。
 その男は、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロが標記のように言った。生まれてから一度も歩いた経験がない男は、自分が歩けるなどとは考えたこともなかったであろう。だが、ペトロが右手を取って彼を立ち上がらせると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、踊り上がって歩きはじめた。どうしてこのような奇跡が可能となったのか。それはペトロたちが特別な能力を得ていたというよりも、「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言えたからである。キリストの権威と力によって歩くことが出来たのである。男は歩けるようになっただけでなく、二人と一緒に境内に入り、神を賛美した。神を礼拝する者に変えられたのである。イエス・キリストの御名が支配するところでは、神への賛美が起こり、生活が変わり、生き方が変わり、諦めと絶望が希望に変えられるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2006年3月5日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録3:1−10
 説教題:「キリストの名によって立つ」                
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