いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人となるべきです。  (使徒言行録1:22)

 主イエスの昇天の後、エルサレムで泊まっていた家の「上の部屋」で「心を合わせて熱心に祈っていた」(1:14)弟子たちが、祈りつつしたことは、欠けたユダの補充をすることであった。それは聖書の言葉が実現するためであり(16節)、主イエスがイスラエルの十二部族を治めるために、十二の使徒が必要であると考えておられた(ルカ22:30)からである。
 しかしその時、弟子たちはユダの最後のことを思い、自分も主を裏切った者であり、同じ運命をたどる筈の者であったことを思わざるを得ず、欠けた一人を選ぶというより、全員が選び直さなければならないとの思いであったと考えられる。
 だがペトロは、選ばれるべき使徒の条件として、標記のように、@生前のイエスと共に生活し、主の業と教えを見聞きした者であること、A主イエスの復活を目撃したこと、の2点を挙げる。このように語る時、自分は主を裏切ることしか出来なかったけれども、生前のイエスと生活を共にすることを許され、復活の主が自分のような者にも現れて下さったことを思い、主がもう一度自分を選び直して、復活の証人として下さった恵みを思わざるを得なかったのではないだろうか。
 弟子たちは、上の条件に適う二人を立てて、神の選びを祈ってくじを引いて、マティアが使徒に加えられることになった。その後、教会が地の果てに至るまで証人としての使命を果たして行くためには、十二使徒の後を継ぐ無数のマティアが選ばれねばならなかった。弟子たちが「上の部屋」で祈っていたように、私たちも祈りの家である教会において祈りつつ待つときに、主は私たちの教会にも新しいマティアを次々と送って下さるであろう。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年1月22日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録1:15−26
 説教題:「復活の証人」                
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