エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。 (イザヤ書11:1−2a)      
 標記は大国アッシリアの脅威のもとで揺らぐ南王国ユダに向けて語られた預言である。この直前(10:33-34)には、アッシリアの攻撃によって「そびえ立つ木も切り倒される」との裁きの預言がなされたが、ここでは一転して、切り倒された株から芽が萌えいで、若枝が育つと言われている。これはダビデ(エッサイはダビデの父)の子孫から理想的な王=救い主(メシア)が生れるとの預言であり、この預言はキリストによって実現されたと受けとめられている。
 キリストには受洗の時に神の霊が鳩のように降った(マタイ3:16ほか)。その霊は「知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」(11:2-3)と言われているように、キリストには物事の真実を見分け、深く考えて勇気をもって実行し、神を恐れ敬う霊が備わっている。主イエスはその霊をもって、この世において神の正義と真実(11:3)を行なわれた。それが十字架と復活による救いの業である。
 その結果、弱肉強食の地上の世界に「狼は小羊と共に宿り、……幼子は蝮の巣に手を入れる」(11:6-9)と言われているような、平和が訪れると預言されている。現実の世界は、今も戦乱が絶えず、私たち自身も敵意や憎しみから開放されていない。神の平和はまだ覆われていて、信仰の目をもってしか見ることが出来ない。しかし、キリストが敵をも愛して十字架に架かり給うたことから平和が始まった。キリストの十字架は争いと憎しみの現実の只中に平和を創り出す力を持っている。終わりの日には、キリストの十字架の「正義と真実」が全ての人に明かとなって、キリストの十字架が全ての民の救いの旗印(11:10)として立てられ、平和の神の国が完成するのである。
  

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2005年11月27日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書11:1−10
 説教題:「平和の若枝」                   
説教リストに戻る