人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。                 (ヘブライ人への手紙9:27−28)

 人の一生は繰り返しのきかない「ただ一度」のものである。そして、ただ一度の人生を終えて死ぬと、神の前に裁きを受けなければならない。その時になってから人生の過ちに気がついても、もう一度やり直すことはできない。その時に問われることは、私たちの業績や善行・悪行のことではなく、信仰を持っているかどうか、十字架を受け入れているかどうかである。
 キリストは多くの人の罪を負うために「ただ一度」、御自身を献げて十字架にかかって下さった。そのキリストの業が「ただ一度」であるのは、それが完全であったことを示している。キリストの十字架は、私たちの罪を完全に贖うものであったので、もはや繰り返す必要はないし、何も付け足す必要もないのである。また、「ただ一度」が強調されるもう一つの意味は、私たちの救いに至る道は、キリストの十字架しかないことも示している。どの宗教でも救われるとか、人間の功徳や善行の積み重ねで救いに至ると考えるのは間違いである。
 私たちの「ただ一度」の人生の中で、この「ただ一度」の十字架の御業を受け入れるならば、キリストが二度目に来てくださる再臨の日に、永遠の救いに入れていただけるのである。
 私たちの人生は過ちや苦しみばかりのように思え、やり直すことはできないとしても、そのありのままの人生が、十字架のキリストとの出会いによって、恵みと喜びと希望に満ちた人生に変えられるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2005年10月30日 山本 清伝道師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙9:23−28
 説教題:「ただ一度の献げもの」                
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