その日には、…残りの者が帰って来る。ヤコブの残りの者が、力ある神に。 その日が来れば、あなたの肩から重荷は取り去られ、首に置かれたは砕かれる。        (イザヤ書10:21、27)

 「その日」とは私たちにとっては終わりの日、キリスト再臨の日である。その日は審きの日であると同時に救いの日である。預言者イザヤは、「その日には、人間の高ぶる目は低くされ/傲慢な者は卑しめられ」(2:11)、「偶像はことごとく滅びる」(2:18)、「その日には、主は飾られた美しさを奪われる」(3:18)などと、傲慢な者、偶像や人間に頼る者、物質的豊かさを追求する者が審かれることを告げる。
 しかし、標記のように、「その日には残りの者が立ち帰る」(シェアル・ヤシュブ=イザヤの息子の名)とも言う。すべての者が救われるというような甘い話ではない。海の砂のように多いイスラエルの民の中で、捕囚から立ち帰ることが出来るのは、わずかの「残りの者」だけであるように、悔い改めて主に立ち帰る者は少ない。
 だがイザヤは、強敵アッシリアが、かつての出エジプトの時のように、「鞭で打ち、杖を振り上げ」ても、「万軍の主は、彼らに対して鞭を振るわれる」とも語る。私たちはこの世で、負い切れない重荷を負っている。身近な家族の問題から国家レベル、地球レベルの問題まで、未解決の問題が山積している。私たち自身の中にも恐ろしい罪が巣食っている。「アッシリアの恐れ」は私たちに重くのしかかっている。だがイザヤは言う、「アッシリアを恐れるな。…その日が来れば、あなたの肩から重荷は取り去られ、首に置かれた軛は砕かれる」と。これはイザヤの単なる希望的観測や慰めの言葉ではない。イエス・キリストの十字架がこのイザヤの言葉を裏付けている。イザヤの告知を聞いて信じた者は、イスラエルへ帰るための旅立ちの準備を始めたように、私たちもまた、終わりの日に向かって、希望をもって旅立ちを始めるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2005年8月28日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書10:20−27
 説教題:「残りの者」                   
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