しかしなお、主の怒りはやまず、御手は伸ばされたままだ。              (イザヤ書9:111620、10:4)

 主なる神は、イスラエルの誇りと驕りを警告し(9:7-11)、悔い改めて主に立ち帰ろうとしない不信心を嘆き(9:7-11)、その結果起こるイスラエルの混乱を予告し(9:17-20)、公正な裁きが行なわれず、弱い者が打撃を受け、その結末が彼らの捕囚か死しかないことを告げた上で(10:1-4)、預言者は標記の言葉を語る。なぜ、神の怒りはやまないのか。
 ヨナが神の使命から逃れようとした時に、神は怒りをもって嵐を起こし、海に投げ込まれたヨナを魚に呑込ませて、ヨナを悔い改めに導いて、再び使命に立ち戻らせた。神の怒りは、御心に従わない者が当初の使命を果すに至るまでやまず、御手を緩められない。
 神によって特別な使命を担うために選ばれたイスラエルも、主の御心に背いて気侭な道に歩もうとして、主の怒りを招いたが、主はイスラエルを滅ぼして終りとはなさらず、怒り続けて、当初の御計画を貫徹なさる。主の怒りの行く先は、結局、独り子イエス・キリストを地上に遣わし、そのキリストを十字架に架けるところにまで至った。
 私たちの罪や過ちに対して、神が怒りの手を伸ばされるなら、私たちは滅びるしかないが、主は私たちを滅ぼすことによって怒りを納められるのではなく、怒りをやめず、御手をイエス・キリストにまで伸ばし、その十字架の死によって私たちの罪を赦し、私たちを悔い改めにまで至らせるのである。神の怒りは、人を滅ぼすためではなく、悔い改めて赦すことを目指す、愛の怒りなのである。パウロは言う。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」(ローマ5:8-9)。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2005年6月26日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書9:7−10:4
 説教題:「主の怒りはやまず」              
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