「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来る」        (ヘブライ人への手紙8:8より)

 聖書の世界では、神と私たちの関係を「契約」という概念で捉えている。旧約聖書の中の代表的な契約は、イスラエルの民がシナイ山で交わした「シナイ契約」である。これには、十戒をはじめとする律法が定められていて、これを守るならば神の民の祝福がある、というものであった。
 ところが、ヘブライ人への手紙の筆者は、「もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう(7)と言う。「あの最初の契約」とは、シナイ契約のことである。神が与えられた契約だから、欠点があったというわけではないが、契約の一方の当事者であるイスラエルの民が、それを守ることが出来なかったために、神の御意志が実らず、成就されなかったという点で欠けがあったのである。そこで、「第二の契約」つまり「新しい契約」が必要となった。
 「新しい契約」はエレミヤによって預言され(エレミヤ31:31-34)、主イエスが十字架の血によって約束された(Tコリント11:23-25)。その新しい点は、第一に、「わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう」(10)と言われていることである。律法を形の上で守ることに汲々として、神の御心から離れているとき、律法は罪を告発するだけの恐ろしいものとなっていたが、新しい契約は、律法に適う行ないが求められる前に、主イエスを信じる思いと心が求められるのである。
 第二の新しさは、「小さな者から大きな者に至るまで、彼らはすべて、わたしを知るようになる」(11)と言われるように、ユダヤ人も異邦人も、罪ある者もない者も、全ての者が恵みの対象となったことである。
 第三の新しさは、「彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしない(12)と言われるように、主イエスが罪を負って下さったので、私たちの罪が赦されるということである。この「新しい契約」のゆえに、私たちの信仰は古びることがない。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2005年2月27日 山本 清伝道師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙8:1−13
 説教題:「新しい契約」                
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