万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたがたが畏るべき方は主。  御前におののくべき方は主。    (イザヤ書 8:13)

 大国アッシリアの脅威のもとで、ユダの民は、「ゆるやかに流れるシロアの水(エルサレムの水源の流れ)のように日々恵みを注いでくださる神に信頼するのでなく、隣国との同盟を結んで抵抗するか、アッシリアに恭順を示すか、人間的な策の選択で揺れ動き、恐れと不安の中にあった。
 そのような不信のユダの民に対し、預言者イザヤは、アッシリアの激流に押し流されてしまうと告げつつも(イザヤ8:5-8)、最終的には神が共におられるのだから、敵の策略が実現することはない、と断言する(9-10)。そして、「恐れてはならない」「おののいてはならない」と戒める(11-12)。
 私たちの「恐れ」には三種類ある。自然の脅威や敵や苦難や死に対する恐れは、神に向かわず、神を信頼しないことによる恐れであって、そのような恐れを「恐れてはならない」と言われる。しかし、神に向かうことによる恐れもある。罪の中にあるために、神の審きを受けなければならないという恐れと、神を畏敬するという意味の信仰的な恐れであって、これらの恐れに対しては「恐れよ(畏れよ)」と言われる。このうち第三の畏れが最も大切なことは言うまでもないのであるが、イザヤは「主が…つまづきの石、イスラエルの両王国にとっては妨げの岩、エルサレムの住民にとっては仕掛け網となり、罠となられる」と語ることによって、第二の恐れに注意を促す。私たちが主を信頼しないで誤った道に行こうとするとき、主は私たちの歩みを無理矢理にでも引き止めるために、妨げの岩や仕掛け網や罠を用意されるのだ。罪の中にあって道を誤ってしまう私たちは、まず神が備え給う罠を恐れ、おののくべきなのである。それは「畏れる」ことにつながる。
    

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2005年1月30日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書8:5−15
 説教題:「主をのみ畏れよ」              
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