神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。      (ヘブライ人への手紙6:17)

 宗教改革者たちが問うたことは、<真の救いの確かさをどこに求むべきか>ということであった。標記の聖句は、この問いに答えを与えている。
 神はアブラハムに約束する際に、ご自身にかけて誓い、「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われた(創世記22:16-17)。神は私たちに対しても、救われて神の国に入るとの約束を与え、その御計画を着々と進めておられるのであるが、それを確かなものとするために、誓いによって保証なさったというのである。人間が誓いをする場合には、自分より偉大な者にかけて誓うのであるが、神はご自身より偉大な者がないので、ご自身にかけて誓われるのである。ご自身にかけて誓うとは、具体的にはご自身の独り子であるイエス・キリストにかけて誓うということであった。この十字架のキリストによる誓いによって、私たちは目指す救いに入れられる「希望」を持ち続けることが出来るのである。
 ヘブライ人への手紙の記者は、この「約束」と「誓い」を「二つの不変の事柄」と言い(6:18)、それらによって、私たちが救われる「希望」は、魂にとって頼りになる安定した錨のように、確かであると述べている(6:19)。神の「約束」と「誓い」とは、言い換えれば「神の言葉」と「キリストの出来事」であり、更にこれらを一つに集約するなら、キリストの出来事を通して語られた「主の御言葉」であると言えよう。救いの確かさは、主の御言葉が正しく語られ、聞かれるところにこそ求められるべき、というのが宗教改革者たちの主張であった。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2004年10月31日 山本 清伝道師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙6:13−20
 説教題:「神の約束」              
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