わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表わしている信仰をしっかり保とうではありませんか。
               
(ヘブライ人への手紙4:14)

 大祭司というのは、年に一度の贖罪日に、神殿の至聖所の祭壇に犠牲の動物の血を注ぐのが職務である。この大祭司になる資格は、第一に、人の弱さを思いやることの出来る人間であり、第二に、神から任命されなければならない(5:1-4)。
 主イエスは、神から「あなたはわたしの子」(詩編2:7)また、「メルキゼデク(エルサレムの王であり祭司であった人物)と同じような祭司」(詩編110:4)と言われているように、祭司であり、かつ王としても立てられた神の子であって、人間の罪を深く悲しんで、十字架の死に至るまでの苦しみ・試練を経験されたという点でも、一般の大祭司を超える「偉大な大祭司」であって、この方こそ「永遠の救いの源」(5:9)である。救いは、この主イエスから無限の泉となって湧き出るのである。
 標記の聖句は、この救いの源・大祭司神の子イエスがすでに与えられている(直訳では“持っている”)と言う。私たちの救いは、私たちの努力や信仰の道を究めることによって手に入れられるのではなくて、すでに主イエスによって備えられているのである。信仰とは、その事実から出発するのである。だから、私たちはただ、その事を<公に言い表わす信仰(=信仰告白)>を保ち続ければよいのであり、大祭司イエスが実現して下さった「恵みの座」に近づくことによって、「時宜にかなった助け」即ち、今、私たちが必要としている助けをいただくことが出来るのである(4:16)。この「恵みの座」とは、他でもなく、私たちの礼拝のことである。祭壇にはキリストの十字架の血が注がれている。私たちはもう何の献げ物も持って行く必要はない。ただ主イエスへの賛美を持って行けばよいのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2004年6月27日 山本 清伝道師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙4:14−5:10
 説教題:「永遠の救いの源」              
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