だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。(ヘブライ人への手紙4:1−2a) 

 イスラエルの民はエジプトを出て、神から約束された安息の地カナンを目指した。しかし厳しい荒れ野の旅の中で、神の約束が信じられなくなった。いよいよカナンに近づいた時も、偵察の報告を聞いて尻込みをしたために、多くの民は安息の地に入ることができず、荒れ野で死んでしまった(民数記13,14章)。このように、イスラエルの民の多くが安息にあずかることが出来なかったのは、彼らの不信仰のせいであった(ヘブライ3:19)。
 それでは、神の約束された安息は反故
(ほごにされたのか。そうではない。標記の御言葉は、「まだ続いている」という。私たちに対する神の約束は、イエスの十字架と復活によって示された福音、すなわち、主イエスを信じる者は、罪赦されて、真の安息に入ることができるという約束である。乳と蜜の流れる地上の約束の地カナンではなくて、罪の赦しが約束された天上のカナンである。これは天地創造の御業を完成された神が七日目に安息された喜びに私たちも招き入れられることでもある。
 このような約束は、荒れ野のイスラエルの民だけでなく、詩編95編が歌われたダビデの時代にも、ヘブライ人への手紙が書かれた初代教会の迫害の時代にも語られ、私たちの礼拝の中で、「今日」も語られている。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはいけない」(詩編95:7,8、ヘブライ4:7)と勧められている。なぜなら、「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭い」(ヘブライ4:12)からである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2004年3月28日 山本 清伝道師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙4:1−13
 説教題:「神の安息」                     
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