その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。
                (イザヤ書4:2)
 「その日」とは、神の審きが行なわれるとともに、神に選ばれた「生き残った者」にとっての、栄光の日である。バビロニアで捕囚の身となっていたイスラエルの民にとっては、そこから解放されて、再びエルサレムの神殿で礼拝できる日と受け止められたが、決定的には救い主イエスの十字架と復活によって成就した。
 「主の若枝」とは、荒廃したイスラエルの地に育つ若枝のことであり、イスラエルの中に成長させて下さる選ばれた民のことを象徴しているが、キリスト教会では、これを救い主メシアを指していると解釈し、「イスラエルの生き残った者」に与えられる栄光の約束は、選ばれてキリストを信じる者、<新しいイスラエル>=教会に受け継がれると受け止めて来た。<新しいイスラエル>にとって、「主の枝」であるキリストが「麗しさとなり、栄光となる」のであって、キリスト者自身が麗しいのではない。教会にとって、キリストだけが麗しいお方であり、栄光に満ちたお方である。
 「この地に結んだ実」は<キリストによって成就した救い>または<教会において結ばれる信仰の果実>と取ることが出来るが、実が結ばれるのは信仰者の努力や精進の結果ではなく、あくまでもキリストによってもたらされる成果である。それは、キリスト者にとって、この上ない「誇りとなり、輝きとなる」(Tコリント1:26−31参照)。
 キリスト者はなぜ「残りの者」となることができるのか。それは、神の選びにより「命を得る者として書き記されている」(3節)からである。洗礼や信仰告白は、そのことを見える形に表わしたものである。各自が「命を得る者」とされているという確信は、地上の教会生活を続けることの中で深められていく。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2004年2月29日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書4:2−6
 説教題:「命を得る者」                   
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