モーセは将来語られるはずのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。(ヘブライ人への手紙3:6)

 ここではモーセとキリストが比較されている。モーセは十戒などの神の言葉を伝える預言者として神の使者の役割をすると同時に、イスラエルの民が罪を犯した時に神に対する執り成しを行って祭司の役割もした、忠実なイスラエルの指導者である。イエス・キリストも同様に「使者であり、大祭司である」(3:1)と初代教会で告白されていた。
 しかし、モーセとキリストの違いは、モーセはあくまでも神の家(イスラエルの民)の中で、その一員として忠実に役割を果たしたのに対して、イエス・キリストは神の子として神の家を治める役割をしておられると言う。その使者としての働きは、単に神の言葉を伝達するというだけではなく、十字架という形で神の言葉そのもの、神の御心そのものとなられた。また、大祭司としての働きは、単に民のために犠牲の動物を捧げ、執り成しの祈りをするだけでなく、全ての人間の代表として自分の体を犠牲として捧げられた。これが、主イエスが神の家を治める方法であった。
 そして、他でもない私たちこそ、その神の家だと言う。ただし、それには、「確信と希望に満ちた誇りを持ち続けるならば」という条件がついている。「確信」という元の言葉は<確信をもって大胆に語る>という意味の語であり、「誇る」という言葉は<自慢するように人に語らずにおれないように語る>という意味の語である。つまり、使者・大祭司としてのイエス・キリストの業によって希望に満たされ、それを確信を持って、誇らし気に語るのであれば、キリストの治めておられる神の家(教会)の一員であるいうことなのである。
 

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2004年1月4日 山本 清伝道師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙3:1−6
 説教題:「わたしたちこそ神の家」              
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