エルサレムはよろめき、ユダは倒れた。彼らは舌と行いをもって主に敵対し、その栄光のまなざしに逆らった。(イザヤ書3:8)

 預言者イザヤは3章1−7節で、エルサレムとユダが頼みとする指導者たちが取り去られて、無政府状態になることを預言する。こうした混乱は、歴史上、世界のあちこちで起こり、今も起こっている。しかし問題は、それがエルサレムとユダで起こることである。そこは、神が選ばれ、礼拝される中心地、神の恩寵が表わされるべき場所である。現代で言うなら、新しいエルサレムである教会においてそのことが起こることが問題である。
 教会で指導者がいなくなり、無秩序になり混乱が起こることは、ただ教会内部の問題に留まらない。教会の混乱は、地域の秩序が崩れ、国の秩序が崩壊に向かうことを意味する。それはユダヤという特殊な宗教国家や、中世のヨーロッパ都市だけではなく、現代の都市も国家も、その秩序の核には健全なキリスト教会がなくてはならない。教会が混乱していて、町や国の平和も、世界の安定もない。
 どうして、教会においてそのような混乱が起ってしまうのか。標記の聖句はその理由を述べている。「舌と行いをもって主に敵対する」とは、御言葉を語り、神を賛美すべき舌が神を汚す言葉を吐き、賛美や祈りが少なくなって、人間の思いから出た言葉が支配し、御心に従った行いがなされなくなっていることを警告している。また、「栄光のまなざしに逆らう」とは、神が力と恵みに満ちたまなざしをもって私たちを御覧になっているのに、そのまなざしを避けていることを指摘している。新約聖書には、主イエスの憐れみに満ちたまなざしが記されている(マルコ10:21、ルカ22:61など。讃美歌243参照)。主は、混乱に陥りがちな私たちと教会をそのようなまなざしでもって今日も御覧になっている。このまなざしに促されて主イエスに従うならば、赦しにあずかり、混乱から立ち直れる。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2003年11月2日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書3:1−15
 説教題:「栄光のまなざし」              
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