ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書2:5)

 「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コロサイ1:1920)。このように、キリストによって神と和解させられ、神との平和が回復された者は、また隣人とも赦し合い、キリストの平和の光に包まれる。
 しかし残念ながら、私たちの日頃の生活の中では相変わらず憎み合いが絶えず、地球上のあちこちで戦争の不安は去らない。世界をまだ暗闇が覆い、平和の光に包まれているとは思えない。このような矛盾に見える状況を、ある説教者は次のような譬えで説明している。朝の光に包まれている家の窓には厚いカーテンが下りていて、この家に住む者は、まだ闇の中にいる。しかし、その闇は既に過ぎ去った現実であり、この家がすでに朝の光に包まれていることこそ確かな本当の現実である、と。
 イザヤが見た幻(2:24)は、一つは、多くの民がシオンにある神殿に向かい、そこで神の御言葉を与えられ、道を示されることであった。多くの人々はシオンの山が他の山々より高く聳えていることを知らず、外には朝の光が差し込んでいることを知らない。しかし、キリスト者はすでに朝が訪れていることを知っており、シオンの山すなわち礼拝の場所・教会へと向かう。今一つの幻は、主が争いを裁き、多くの民を戒められて、武器が打ち直されて農機具に作り変えられるというものである。悪はイエス・キリストによってすでに滅ぼされ、罪は赦された。争いの道具は何の役にも立たなくなっている。多くの人々はそのことを知らず、まだ武器に頼ろうとする。しかし、キリストによって朝の光が差し込んでいることを知る者は身の回りから憎しみを捨てて、赦しへと光の中を歩み始める。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2003年8月3日 山本 清伝道師 

 聖  書:イザヤ書2:1−5
 説教題:「主の光の中を歩もう」              
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