神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。(ヘブライ人への手紙1:1−2a)

 私たちは、一度は信仰を持っても、人生の歩みの中で、様々の出来事に遭遇し、また自分が置かれた環境が変化する中で、宗教に無関心になったり、神など必要ないと考えたり、あるいは、高い山に登る道が何本もあるように、神を知る道も何通りもあって、何もキリスト教でなくてもよいのではないか、と考えてしまうことがある。
 しかし、この聖句によれば、神はご自分を知らせるために、この終わりの時代(キリスト以後)には、御子・キリストによって語られる、と言うのである。神様という方が、人間が創り出したもの、人間が考え出したものであるなら、その知り方は色々あるかもしれない。だが、神は人間の知恵や想像の産物ではなく、初めからおられ、生きた言葉でご自分を示される方である。それは、言葉で説明するとか、口で教えるということではなく、イエス・キリストという生身のご人格、即ちキリストの地上における生と御業(十字架と復活)によって、御自身をお語りになるということである。だから私たちには、御子・キリスト以外に本当の神を知り得る道はない。
 また神は、御子によって世界を創造し(1:2)、御子は万物を支え、罪を清め、神の右の座で支配しておられる(1:3)。だから、人間が神を否定しようが、神に対して無関心でいようが、世界の歴史と私たちの生は、神とキリストによって支配され導かれている。それゆえ、私たちの存在の意味・生きる目的は、神の言葉である御子・キリストに聞き、神を知り、それに従う以外には明らかにされないのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2003年6月29日 山本 清牧師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙1:1−4
 説教題:「御子によって語られた」                  
説教リストに戻る