我らが主と崇むる神の独子(ひとりご)イエス・キリストは、真の神にして真の人・永遠なる神の経綸に従ひ、人となりて人類の罪のため十字架にかかり・全き犠牲をささげて購(あがない)いを成就し、復活して永遠の生命の保証をあたへ、救ひの完(まっと)うせらるる日まで我らのために執成し給ふ。おほよそ神の選びを受け、この救ひの御業を信ずる者は、キリストに在りて義と認められ、功なくして罪の赦しを得、神の子とせらる。また父と子とともに崇められ礼拝せらるる聖霊は、信ずる者を聖化し、御意(みこころ)を行はしむ。この三位一体なる神の恩恵によるにあらざれば、罪に死にたる人、神の国に入ることを得ず。新旧約聖書は神の言にして、そのうちに語り給ふ聖霊は、主イエス・キリストを顕示し、信仰と生活との誤りなき審判者なり。教会はキリストの体、神に召されたる世々の聖徒の交りにして、主の委託により、正しく御言を宣べ伝へ、聖礼典を行ひ、信徒を訓練し、終りの日に備へつつ主の来り給ふを待ち望む。いにしへの教会は聖書に拠りて左の告白文を作れり。我らもまた使徒的信仰の伝統に従ひ、讃美と感謝とを以てこれを共に告白す。

我は、天地の創造主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。我は、その独子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は、聖霊によりてみごもられ、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦難(くるしみ)を受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死者のうちより復活し、天にのぼりて全能の父なる神の右に坐し給ふ、かしこより来りて、生ける者と死にたる者とを審き給はん。我は、聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交り、罪の赦し、体の復活、永遠の生命を信ず。
                                            アーメン

日本キリスト教会信仰の告白(文語文)      (1953年10月第3回大会において制定)
                                     (1985年10月第35回大会において一部改正)