鋸山の南から安房の国です。その玄関口に位置する保田(千葉県鋸南町)は、古くから歴史と文化に彩られてきた
風光明媚な土地です。古くは穂田郷と呼ばれ、実り豊かな土地だったと考えられます。
奈良時代に開かれたとされる日本寺のある鋸山は、山全体が信仰の対象であり、特に江戸時代から多くの参拝者が訪れ、千五百羅漢
など石仏の宝庫として江戸に知られていました。江戸時代には、絵清恵創始者・菱川師宣が誕生した地で、また安房の三名工の一人に数えられる石彫の達人、武田石翁が活躍しました。江戸の町が大消費都市として形成されると、保田は内房沿岸でとれた魚介類を江戸へ運ぶための
集積地としての港として栄ました。押送船とよばれたその船で貨物のほか、人を運んだり、江戸の文化も流れてきたのです。俳人の小林一茶も
たびたび訪れています。また浮世絵師歌川広重も房総旅行の際、この保田海岸から見た富士を「富士三十六景 房州保田海岸」などの
浮世絵版画に残しています。
明治から大正時代になると、避暑地として人気が高まり、東京から多くの人たちが訪れるようになりました。夏目漱石、西条八十をはじめ多く
の文人たちも保田にやってきています。
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保田は、周囲を海と山に囲まれた温暖な海洋性気候で風光明媚な海岸線は、避暑地であり別荘地として栄てきました。鶴ヶ崎(鶴)と
亀ヶ崎(亀)の間にある町で、鶴と亀はセットで昔から長寿の象徴になっています。
又その恵方が吉の吉浜といわれています。今吉浜神社はバワースポットとしてにわかに注目されています。
保田は江戸(東京)に近く景勝地としておおくの文人墨客が紀行として訪れています。特に鋸山日本寺には俳人が沢山の詩歌を残してます
汽船。鉄道が開通した明治。大正。昭和の40年代にかけては、海水浴、避暑として訪れる方が多く、夏目漱石を始め文豪や
文学者が文学的資質を作る転機となった場所と言われています。 |
夏目漱石が「奸雄のようだ」と言わしめた保田の海・鋸山
(
奸雄=優れた策略、悪知恵をもって英雄や天下を取った人)
石原純は大正時代に物理学教授の栄職をなげうって、原阿佐緒と保田に、「靉日荘」を建設、多くの文人が居をかまえ、金森南耕画伯と
共に保田の良さをあまねく天下に紹介したといわれます。
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沿革
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