揺れ動く心、柔らかな心、弱い心

令和1年、11月11日、決意表明をしたものの...

揺れている私がいます

そもそも、1人で( ^ω^)・・・というのが間違いでした

あの日はちょっと最愛の末娘とR君とまたおかしな行き違いがあって( ^ω^)・・・

突っ走ってしまってあんな表明してしまったけれども⤵⤵⤵

本心じゃなかった

そもそも一人じゃ無理

河合隼雄先生もあんな思いつめた感じ、好きではないですよね

せっかく生まれてきたこの世で、自分の人生をどんな物語に仕上げていこうか」という生き方のほうが幸せなんですね。

視野を広げるために一番大事なものは、道草、ゆとり、遊び (by河合隼雄先生 笑顔)

 

そう、一人ではありません。

離れていく人があることも確かだけれど、それは多分今の私にとって必要な人でないから・・・

現に、離れていく人がある以上に、新たな出会い(例えば、10月26日に出会った中3、陸上部のみやび君とか、中2、サッカー部の一輝君とか、諸々吹田市であの日出会った心優しい方々との奇跡とも言える出会い)と、その後の一輝君とのやりとりが生まれた(^^♪

そもそも、あの日、生まれ故郷の吹田市に行かざるを得なくなった、つらすぎる、やはり、末娘とR君と、そして、T君との三つ巴のラインの超ハードなやりとりというかバトルといってもいいほどの修羅場(?)・・・

でも、そのおかげで、吹田に行かざるを得ないところまで追い込まれ、新たな出会いと、一番会いたかった人と会えた・・・                          母校、千里第一小学校で教育実習で出会った、S.N君にやはり奇跡的に会えた。私って探偵できる?って思えるくらい。だって、1985年(阪神タイガース優勝の年であり、二女の生まれて来てくれた年)のN君からの年賀状以降、お互いの引っ越しで音信不通だったのだから。

N君と想いは同じだった。いつも、運動神経抜群で、サッカー選抜に選ばれたN君は私に大事なことを教えてくれる。N君の教えを守って、吹田第二小学校の新任の旧3年、4年3組のみんなと、2年のみんなとの出会いがあった。N君からの教えー生徒は教師に叩かれたがっているーという今だととんでもない教えの実践を一番受けてしまったのが、超ガキ大将(今ではもはや死語?)のS.Y君だね。

運動神経抜群で、今もサーフィンを楽しむS.Y君とは今でも折に触れ交流があるけれど、今でもN君仕込みの指導?or愛のムチ?が語り草になっている...「おれ、怒ってないで。今の教育おかしい。悪いことしたら叩いたらいいねん。(うーん。今の私なら叩かなくてもいけるかな?)。今の世の中おかしい!戦争したらいいねん。」<いや。それはあかん>。さだまさしの”防人の詩”を歌って、訴えるも、自説を曲げようとしないS.Y君。この件については、明日の法王の平和への願いのメッセージへの期待が世の中的にもとてもたかまっていますね。

今日は、猫の日だとか・・・「オレ、ネコ。ネコだから言葉分からない。でも、気持ちよくわかる」そうですよ。

そして、いい夫婦の日(-_-;)or!(^^)!でもある。婚姻届け出すなら、立川市で、プレミアム婚姻届けがおススメ( ^ω^)・・・住んでいなくても、沖縄からでもOKですよ

話を元に戻すと、何より、S.N君、R.N君、の共通点が怖い。面白い。末娘とR君との共通点、元生徒、S.N君、S.Y君、T.S君、H.S君、S.A君、R.Fさん、クライエントR.Yさん(私が密かに”地上の神”と呼んでいる人。私が”変わる”きっかけをくれた)、H.Kさん(箱庭一緒に運んでくれて、一緒に”禁じられた遊び”してくれてありがとう)、尊敬する師であるH.K先生 etc.etc…言い出したらきりがなくて怖い///( ^ω^)・・・共通点は、”一緒にいて楽しい”こと。

末娘とR君の共通点ーぶつかることで、理解と、絆深まっていることを感じずにはおられない

だから、みなさん、”ぶつかることを恐れないで!”。”底まで行ったら上がるしかない”。みんな底に行くのを怖がりすぎかも…。”ピンチはチャンス。”。”大変”は「大きく変わる時」。「失敗は成功の基」。「失敗は成功の母」。「災い転じて福となす」。「七転び八起き」。「罪を憎んで人を憎まず」等々、これも言い出したらきりがないので「今宵(今は朝だけれど)はこれまでに・・・」

 

C.G.ユングの『ヨブヘの答え』、中沢新一の『レンマ学』、今の私にぴったりの本です。諸々あってなかなか読み進めていないけれど・・・(-_-;)(^^)

2019年11月22日