等彌時代の流れ

















記紀の世界を体感










 祭壇を設け祭る





















































































 大和平野へ侵攻






























 金鵄が光り幻感
















 瓶で平定を占う






































































































































      東 征 の 壮 大 な 物 語


      
神武天皇聖蹟顕彰碑めぐり

  昭和15年、紀元2600年奉祝事業として、神武

  天皇東征の聖蹟顕彰碑が建てられた。大分、福岡、大

  阪、和歌山など7府県19カ所に点在し、本県には桜井

  市や宇陀市を中心に最多7カ所ある。しかし、現在では

  存在を知らない人も多い。


  因縁相手の長髄彦を屈服させた神武天皇は橿原宮で

  即位する。「わが皇祖の霊が天から降り眺められて、

  我が身を助けてくださった天神を祀(まつ)って大孝

  を申し上げたい」。『天神(アマツカミ)を、祀って、

  それで大孝(オヤニシタガウコト)を果たしましょう』

  鳥見山に霊畤(れいじ=祭壇)を設け、皇室の祖先天照大

  神(あまてらすおおみかみ)を祭った。これは大嘗祭の起

  源とされている。

神武天皇が即位して四年の春2月23日。




申大孝


  保田與重郎  祥書


     昭和五十八年十一月吉日


  当初、社頭に設置されてたが、一の鳥居を


  上げる際に、拝殿の横に移設された


      


タイトル 神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑
建立日時 昭和十六年五月二十九日 除幕式
撮影場所 社務所前・手水舎の左方角の小高い丘
画像説明 左【表】・中【裏碑文・神武天皇御東征ノ鴻業ヲ遂ゲサセ給ヒ橿原宮ニ御即位ノ後四年二月鳥見ノ山ノ中ニ霊畤ヲ立テ皇祖天神ヲ祭ラセラレ大孝ヲ申ベ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地附近ニアリト傅ヘラル】・右【裏】


   日本書紀によると、神武天皇は大和平野への侵攻

   に向け、宇陀の高見山に登り国中を見渡した。す

   ると、磐余邑(いわれむら)に兄磯城(えしき)の軍

   勢があふれかえっているのが見えた。そのほかの

   敵もすべて要害の地に陣を構え、道が塞がれ通る

   ところがなかった。神武天皇はこれを憎んだとい

   う。さらに、日本書紀には、磐余は元の名を「片

   居または片立」といい、皇軍が敵を破り大軍が集

   まってあふれたため磐余と名付けられたとも記す。

   磐余邑は現在の桜井市西部から橿原市東部の丘陵

   地と推定。宇陀方面から橿原方面に向かう入り口

   に当たる要衛地で、後世にもさまざまな天皇が宮

   を構えた。神武天皇の和風諡(し)号「カムヤマト

   イハレビコ」にも使われ、東征における重要な場

   所だったと考えられる。


   兄磯城らを打ち破った神武天皇は、兄、五瀬命(い

   つせのみこと)を仇(かたき)である長髄彦と再戦。

   戦いを重ねたが、容易に勝つことができなかった。

   突然、空が暗くなると雹(ひょう)が降り出した。金

   色の鵄(とび)が天皇の弓の先に止まり、雷光のよう

   に光って長髄彦の軍勢を幻感した。この金鵄(きんし

   )が舞い降りた場所は鵄邑(とびむら)と名付けられ

   た。鵄邑は「鳥見」とも呼ばれ、場所も諸説ある。


   神武天皇は夢に現れた天神の教えのとおり、天香具

   山の土で御神酒入れる瓶を作り、丹生の川上でお祭

   りした。「丹生の川に瓶を沈め、もし魚が大小とな

   く全部酔って真木の葉のように流れたら、私はこの

   国を平定するだろう」と言って沈めると、魚がみん

   な浮き上がりパクパクと口を開けた。一説では、丹

   生川は現在の高見川で、高見、四郷、日裏の三川の

   合流点が瓶を沈めたところとされる。


         等彌神社の宝 古墳遺物

          画文帯環状乳神獣鏡


(イメ−ジ)

  環状乳神獣鏡とは、(最も進化した形式の環状乳神獣鏡)

  内区には4匹の龍がめぐり、願首(こしゅ)して2つの

  環状乳の中間に神仙を乗せる。?を挟んで対称の位置に

  西王母と東王公、弾琴する伯牙と冕冠(べんかん)被っ

  た黄帝(こうてい)と考えられる人物が座している。伯

  牙は中国古代の琴の名手で、神獣鏡においては、その奏

  でる音楽で陰陽を調和させるという重要な役割を担って

  おり、陰陽を代表する西王母と東王公の座する位置の間

  に割って入る形で描かれたものと考えられる。外区には

  六飛龍(ろくひりゅう)、船、日象(にっしょう)と月

  象(げっしょう)を捧げ持つ神仙などから成るいわゆる

  画文帯(がもんたい)がある。画像鏡の外区の画像帯と

  は思想的な意味も異なるらしく、三足鳥・九尾狐などの

  表現も見当らない。全体として、神獣鏡の分様には、陰

  陽とその調和という考え方が、画像鏡などと比較してみ

  てもより抽象化された形で盛り込まれていると見ること

  ができよう。


鉄 刀


(イメ−ジ)

  刃が付いていない刀形状の鍛鉄製の武具・捕具・護身 

  具。敵刃の斬撃を受けることに耐えながらも相手を必要

  以上に殺傷せずに、剣術の用法を転用して制圧するため

  に考案された器物である。古民具・美術骨董具では60

  cm以上の兜割の事を指すことが多い。


勾 玉


(イメ−ジ)

  (まがたま・曲玉)は、先史・古代の日本における装身具

  の一つである。祭祀にも用いられたと言われるが詳細は

  分からない。語の初出は『記紀』で、『古事記』には 

  「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られ 

  る。語源は「曲っている玉」から来ているという説が有

  力である。