等 彌 の 社
















その西の麓(ふも

と)に鎮座する等

彌神社は、十世紀

前半に制定せられ

た『延喜式』の神

名帳にすでに記載

があり祈年祭の幣

帛に預かった古社

でありますととも

に、昭和十五年の

紀元二千六百年当

時には、旧村社か

ら県社に列せられ

爾来、地元桜井は

元より、全国的な

崇敬に預かる県下

有数の名社であり

ます。ご祭神は

「天照大神」を主

神として下社には

「八幡」「春日」

の大神をお祀り申

し上げておりま

す。


境内には、百六十

余基の石燈籠が並

立し、参道を進む

と上社「@上津尾

社」に至り、裏参

道を下ると下社

A下津尾社」に

至ります。御祭神

は、天照皇大神、

下社には八幡大

神・春日大神をお

祀りするととも

に、その他八社

(B弓張・C恵比

須・D金毘羅・E

黒龍・F稲荷・G

猿田彦・H愛宕・

I桃神)の境内社

及び桜井市護国神

社が鎮座されてい

ます。






































































































































































































































































































































































































            @上津尾社社殿


御祭神は、大日霊貴尊(おおひるめのむちみこと・天照皇大

神)。本殿は、元鳥見山中にあり、天永3年(1112)、現在

地に遷されました。拝殿は、大正13年に新設されました。



            A下津尾社社殿


右殿、八幡社 御祭神は、磐余明神(いわれみょうじん・

神武天皇)・品陀和気命。左殿、春日社 御祭神は、高

皇産霊神・天児屋根命。


      

  (壱)左殿・春日大神

春日神(かすがのかみ)は、神道の神である。春日明神ま

たは春日権現とも称される。春日大社から勧請を受けた神

のことであり、神社の祭神を示すときに主祭神と並んで春日

大神などと書かれる。

             (壱)左殿・春日社の紋は【逆さ藤】


      

  (弐)右殿・八幡大神

八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰され

る神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の

神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほ

んだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。ま

た早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさ

つ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。

             (弐)右殿・八幡社の紋は【八】



             B弓 張 社


櫻井弓張社について

昭和13年発行の「櫻井の史蹟」より

無格社 祭神 櫻井弓張皇女(さくらいのゆみはりの 

     ひめみこ)

社記による「この神、三十代敏達天皇の御子二男五女の

内第七皇女にいまして、元来磐余山東光寺の鎮守の神で

あった。以後この寺が廃寺となるに及んで等彌神社境内

に遷座し奉り崇敬している。


古来東光寺庭前において、夜泣きの神様として庶民の信

仰厚く参拝するものが多い。その御利益に応えて子供、に

わとりを描いた絵馬を掲げている。

なお櫻井弓張皇女の陵墓は、鳥見山西北の上げ山と言

い伝えられている。また櫻井と言う地名のゆかりの一つとされ

ている。



             C恵 比 須 社


           恵比須神社畧縁記

祭神  事代主大神(ことしろぬし)  そも当社は往古磐余

の市場守護神として御鎮座磐余市立(いわれいちたち)の宮

として称し由緒ある古社でありました 世の変遷に伴い市場

は廃頽(はいたい)神社も亦荒廃その極に達し転々として各

所に御動座 明治七年 当等弥神社境内の小社として御

奉斎致してあります 然る處 年代年と共に社地は荒廃し

社殿の腐朽甚敷御神慮に対し誠に恐懼(きょうく)に堪え難

きものありましたので 今回神社の役員 並 志の信仰者諸

賢と相議り境内を整備 社殿拝殿御素屋等改築御神徳

を仰ぎ以て市場守護の大神として市内商工の繁栄を祈誓

する所であります

昭和三十七年六月吉辰(恵比須神社拝殿の屋根の梁に

掲示されている。)



            D金 毘 羅 社


江戸末期創建航海安全 諸願成就 商売繁昌に御利

益がある神仏習合により生まれた神社



             E黒 龍 社


上津尾社から山手に少し上ると、黒龍社という小さな祠が

ある。この社は、桜井の柳生ふじさんが季節はずれに大蛇

を見たということからお祭りされ、昭和三十二年一月二十

日にここに社を立てられました。



             F稲 荷 社


昭和31年6月20日 改築落成五穀豊穣をもたらす~



            G猿田彦大神社


昭和55年に、伊勢市鎮座の猿田彦神社より勧請されまし

た。猿田彦大神は、みちひらきの神として、交通安全の御神

徳が発楊されます。移設の際には、7名の発起人が協力さ

れたとの事です。



             H愛 宕 社


創建は、社前灯籠に文化二年(1805)とあり。昭和30年7

月桜井の大火後、駅前の重坂氏が社を建替えられた。

社入口左側の灯籠は道標で、元、桜井の札の辻にあった

のを移設された。


             I桃 神 社


          桃神池に鎮座する祭神

祭神 意富加牟豆美の命(おほかむづみのみこと)

古事記上巻記載の神名 略称ももがみ

名義は「偉大な神の霊」。「意富」は「大」で美称。「加

牟」は「神」。「豆」は連体助詞。「美」は「神霊」の意。

黄泉国から逃走する伊耶那岐命が黄泉つひら坂(境界の

坂)で、桃の実を追手に投げつけ退散させ、無事脱出し、そ

の桃の実の功績を賞して与えた名。桃の木や実に邪気を払

う呪力があることに基づく名であるが、邪気(鬼神)を払う呪

力は、その鬼神よりさらに強大な威力があるので、神の中の

偉大な神の、その神霊、という命名であろう。

          (西宮一民氏 古事記より 新潮社版)



     桜井市護国神社


桜井市より出征され、戦歿された千八百六十余柱の

御英霊が奉斎されています。昭和30年代に創建さ

れました。     殉 國 碑

御英霊

        (護國神社 殉國碑前 碑文)

 

 慰 霊 祭【表】

星霜茫々五旬歳 骨肉未還異郷涯

存亡難避祖國急 應召難拒有為材

滄溟漂藻昿野露 魂魄虚宿故山苔

遺孤雖荘親既亡 纏綿莫絶慰霊祭

               平成六年秋 桜井文学散歩の会 奉献


 慰 霊 祭【裏】

    星霜茫々として五旬の歳  骨肉未だ還らず異郷の涯

   存亡避け難し祖國の急   應召拒み難く有為の材

   滄溟の漂藻昿野の露となり 魂魄虚しく宿る故山の苔

   遺孤壮と雖ども親既に亡し 纏綿絶える莫かれ慰



              手 水 舎


【贔屓《ひいき》】

手水舎で水を吹いている亀のような石造物が、贔屓です。

      

中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神

獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀に似ている。

重きを追うことを好むといわれ、そのため古来石柱

や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。

日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓

しすぎると、かえってその者を不利にする、その者

のためにはならない」という意味の諺だが、その由

来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れる

からに他ならない。