等 彌 の 社




































































































































































































































        等 彌 神 社 御 由 緒


         (社務所・出窓下にございます)

  当神社の背後に位置します標高が二四五米のなだらかな

  山容の鳥見山は初代神武天皇が橿原宮に即位され神武四

  年春二月に「わが皇祖の神霊は天より降りみそなわして

  私の身体をてらし助けたもうた。いまもろもろの賊を平

  定してしまって海内(くにのうち)は事件とてないほどよ

  く治まっている。そこで天神を祭って大孝(おやにした

  がうこと)の志を告げ申し、お礼を致したい。」と詔り

  をされ鳥見の山中に霊畤(まつりのにわ)を設け国で採

  れた新穀及び産物を供えられ御自ら皇祖天津神々を祭り

  大和平定と建国の大孝を申べ給うた大嘗会の起源我が国

  建国の聖地であると伝えられております。


   その西の麓(ふもと)に鎮座する等彌神社は、十世紀前半

  に制定せられた『延喜式』の神名帳にすでに記載があり

  祈年祭の幣帛に預かった古社でありますとともに、昭和

  十五年の紀元二千六百年当時には、旧村社から県社に列

  せられ爾来、地元桜井は元より、全国的な崇敬に預かる

  県下有数の名社であります。ご祭神は「天照大神」を主

  神として下社には「八幡」「春日」の大神をお祀り申し

  上げております。

  境内には、百六十余基の石燈籠が並立し、参道を進むと

  上社「@上津尾社」に至り、裏参道を下ると下社「A

  津尾社」に至ります。御祭神は、天照皇大神、下社には

  八幡大神・春日大神をお祀りするとともに、その他八社

  (B弓張・C恵比須・D金毘羅・E黒龍・F稲荷・G

  田彦・H愛宕・I桃神)の境内社及び桜井市護国神社が

  鎮座されています。


    @上津尾社社殿

 御祭神は、大日霊貴尊(おおひるめのむちみこと・天照皇大神)。本殿

は、元鳥見山中にあり、天永3年(1112)、現在地に遷されました。拝殿

は、大正13年に新設されました。




    A下津尾社社殿

 右殿、八幡社 御祭神は、磐余明神(いわれみょうじん・神武天皇)・品

陀和気命。左殿、春日社 御祭神は、高皇産霊神・天児屋根命。






 左殿、春日社の紋は【逆さ藤】








 右殿、八幡社の紋は【八】






    B弓 張 社

 櫻井弓張社について (上津尾社に向かって左山側の社)

  昭和13年発行の「櫻井の史蹟」より

無格社 祭神 櫻井弓張皇女(さくらいのゆみはりのひめみこ)

 社記による「この神、三十代敏達天皇の御子二男五女の内第七皇女にい

まして、元来磐余山東光寺の鎮守の神であった。以後この寺が廃寺となる

に及んで等彌神社境内に遷座し奉り崇敬している。古来東光寺庭前におい

て、夜泣きの神様として庶民の信仰厚く参拝するものが多い。その御利益

に応えて子供、にわとりを描いた絵馬を掲げている。なお櫻井弓張皇女の

陵墓は、鳥見山西北の上げ山と言い伝えられている。」また櫻井と言う地

名のゆかりの一つとされている。




    C恵 比 須 社

  恵比須神社畧縁記  祭神  事代主大神(ことしろぬし)

そも当社は往古磐余の市場守護神として御鎮座磐余市立(いわれいちたち)

の宮として称し由緒ある古社でありました 世の変遷に伴い市場は廃頽(は

いたい)神社も亦荒廃その極に達し転々として各所に御動座 明治七年 当

等弥神社境内の小社として御奉斎致してあります 然る處 年代年と共に

社地は荒廃し社殿の腐朽甚敷御神慮に対し誠に恐懼(きょうく)に堪え難き

ものありましたので 今回神社の役員 並 志の信仰者諸賢と相議り境内

を整備 社殿拝殿御素屋等改築御神徳を仰ぎ以て市場守護の大神として市

内商工の繁栄を祈誓する所であります

 昭和三十七年六月吉辰(恵比須神社拝殿の屋根の梁に掲示されている。)





    D金 毘 羅 社







    E黒 龍 社

 上津尾社から山手に少し上ると、黒龍社という小さな祠がある。この社

は、桜井の柳生ふじさんが季節はずれに大蛇を見たということからお祭り

され、昭和三十二年一月二十日にここに社を立てられました。







    F稲 荷 社






    G猿田彦大神社

 昭和55年に、伊勢市鎮座の猿田彦神社より勧請されました。猿田彦大

神は、みちひらきの神として、交通安全の御神徳が発楊されます。

  移設の際には、7名の発起人が協力されたとの事です。







    H愛 宕 社






    I桃 神 社

 桃神池に鎮座する祭神について(社務所東側の池の中島にある祠)

  祭神 意富加牟豆美の命(おほかむづみのみこと)

       古事記上巻記載の神名 略称ももがみ

 名義は「偉大な神の霊」。「意富」は「大」で美称。「加

牟」は「神」。「豆」は連体助詞。「美」は「神霊」の意。

 黄泉国から逃走する伊耶那岐命が黄泉つひら坂(境界の坂)で、桃の実を

追手に投げつけ退散させ、無事脱出し、その桃の実の功績を賞して与えた

名。桃の木や実に邪気を払う呪力があることに基づく名であるが、邪気(鬼

神)を払う呪力は、その鬼神よりさらに強大な威力があるので、神の中の偉

大な神の、その神霊、という命名であろう。

            (西宮一民氏 古事記より 新潮社版)




       桜井市護国神社


御英霊

  桜井市より出征され、戦歿された千八百六十

  余柱の御英霊が奉斎されています。昭和30

  年代に創建されました。

       (護國神社 殉國碑前 碑文)


             慰 霊 祭【表】

星霜茫々五旬歳 骨肉未還異郷涯

存亡難避祖國急 應召難拒有為材

滄溟漂藻野露  魂魄虚宿故山苔

遺孤雖荘親既亡 纏綿莫絶慰霊祭


慰 霊 祭【裏】

     星霜茫々として五旬の歳  骨肉未だ還らず異郷の涯

     存亡避け難し祖國の急   應召拒み難く有為の材

     滄溟の漂藻野の露となり  魂魄虚しく宿る故山の苔

     遺孤壮と雖ども親既に亡し 纏綿絶える莫かれ慰霊祭