継続登攀
欅平〜
奥鐘西壁〜阿曽原〜池の平〜小窓〜三の窓〜剣岳チンネ〜剣岳本峰〜剣沢BC〜剣岳八峰マイナースラブ六峰Aフェース〜剣沢BC〜立山〜一の越〜黒部湖
1987 8/9
 名古屋を早朝に立ち、宇奈月より欅平駅に降りる。ホームをそのまま進み、発電所の横より沢に入る。
着物を濡らしたくないので、生まれたままの姿になり合羽を着る。二時間ほどで奥鐘西壁の取り付きの対岸の 砂場にテント泊。

8/10
奥鐘西壁取り付き〜奥鐘西壁京都ルート〜9Pまで〜懸垂で取り付きへ〜欅平駅下河原でBP


登攀の用意をして渡渉する。先発が空荷で跳び、ザイルで荷物を上げる。
京都ルートに取り付く。1Pは加藤が先行して、2Pは鈴木とツルベで登る。ピンの間隔がとてつもなく遠く、最上段に乗っても届かず、ピンに立たないと届かない所もある。上背が必要である。開拓者の努力には頭が下がる。3P目の水平に6mを越す大ハングは圧巻である。当時は日本最大と言われただけあり、手ごたえがある。
御在所の三段ハングで、出口の飛んだリングの練習をしてきたので何とか越えられる。ハングは小さいが疲れた頃に、次から次にと現れる。心配していた天気が崩れそうで、遠雷が聞こえ段々近づいて来る。今日中には抜けれそうにないし危ないからと、9P目で下る。あっと思う間にいきなり奥鐘の西壁に稲妻が走る。岩の表面を走るようだ。
大ハングを懸垂で降りている間に、壁が滝のようになる。少し遅れていたら滝に飛ばされたであろう。
懸垂中のザイルを握る手に電気が走り、ビリビリと感電する。ハングでザイル末端で振り子して岩に取り付こうとしたら手先から岩に火花が飛び失神しそうになる。
雷恐怖症の加藤は、金物を全て身体から外し、壁に身体をビレーする。二時間ほどで雷の中心は通り過ぎたようであり、急いでテント場に懸垂で降りて、身支度をして欅平の駅に向けて漆黒の宇奈月川にラテを点けて飛び込む。濁った川は浅瀬がわからず胸まではまる。
危険を感じて川原にビバークを決めるが。上流の雨のための放流が怖くて一睡もできない。

8/11
欅平駅〜水平道〜阿曽原温泉

明るくなったらなんと欅平の駅は目の前である。早速這い上がり朝飯をゆっくり作る。今日は眠いし三の窓へは無理と判断。阿曽原で温泉につかりゆっくりすることにする。

8/12
阿曽原〜仙人温泉〜池の平〜小窓〜三の窓

今日は移動日である。阿曽原からずたずたの雪渓をあえぎながら登り、仙人温泉で一風呂浴びる。
池の平を通り、池の平山のトラバスが悪い。小窓の雪渓を登る。ずたずたの雪渓を詰めて小窓のコル、三の窓へと入る。途中で山菜のコゴミをビニール袋一杯採る。

8/13
三の窓〜チンネ〜ベルニナルート〜下降〜チンネ左稜線〜三の窓〜剣岳〜剣沢BC

チンネ左稜線・ベルニナルートと二本登る。、テントをたたみ、剣岳を越え、剣沢のBCキャンプに入り、やっと皆と合流する

8/14雨で停滞。

8/15
沢BC〜八峰の末端〜マイナースラブ〜八つ峰T峰〜Y峰〜六峰Aフェース中大ルート、ルート〜剣沢BC

薄暗いうちにBCを出て、剣岳八峰の末端よりマイナースラブに取り付く。シュルンドを越えるのが非常に微妙で怖い思いをする。ザイルが欲しいところだが、斉藤氏はこんなところでザイルを出していたら、ヒマラヤは登れんの一言で。マイナースラブは長いのでできるだけザイルを使わずに登るのがポイントである。頭を越えて、1峰で初めて口に物を入れる。これもヒマラヤの壁を登るためのトレーニングである。1峰〜Yまで縦走して、六峰Aフェースを二本登りBCキャンプに帰る長いルートをこなす。

8/16
沢BC〜別山乗越〜大汝山〜一の越〜東一の越〜黒部平
剣沢から別山〜立山〜一の越〜黒部湖を目指して下山する。扇沢で群馬岳連の仲間とのアンナプルナ冬季登頂の打ち合わせに行く斉藤氏と別れる。これが今世の別れとなるとは想像だにしなかった。合掌