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登山家 鈴木孝雄の足跡 | ||
1938 | 愛知県に生まれる。母親の胎内にあるときに、母親は姉を連れて鳳来寺山を登り、頂上の台地で霧にまかれて、遭難の一歩前を登山を体験したとか。登山家としての胎教を受けていたようだ。 | 年齢 |
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1965 | 789mの本宮山に幌布製のテント、飯ごう、マキを背負って登った登山が病みつきになり 御岳山、中央アルプス、北アルプス槍穂高と山登りに出かける。 |
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1970 | この頃より単独で幅広く山登りをするが、自然とより厳しい山、ルート、季節と登山スタイルがかわっていくが、ヒマラヤに行く登山家になるとは想像されない。 | |
1984.7 | レーニン峰7134mに登頂。初めての海外登山。その後、名古屋山岳会に入会して岩登り、アイスクライミング、フリークライミングと幅の広い登山活動をする。登山家としての力量をつける。 | 46 |
1986.7 | コミュニズム峰7495mに無酸素登頂。ヒマラヤ8000m峰無酸素登頂登山に一歩近づく。 登山家として、ヒマラヤ8000m峰無酸素登頂登山の手がかりをつかむ。 |
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1986.12.28〜1. | 赤谷山〜白ハゲ山〜大窓〜池の平山〜小窓〜剣〜早月尾根。豪雪の北方稜線は矢張り日本の冬山登山のビッグルートである。ヒマラヤ登山の入門コースと言うよりは、こちらのほうが難しい。 | 48 |
1987.8 | ヒマラヤ無酸素登山家を目指し、長く厳しい継続登攀をする。 奥鐘西壁〜剣岳チンネ〜八つ峰マイナースラブ〜Y峰フェース | 49 |
1988.12 | 槍ヶ岳〜穂高の縦走も硫黄尾根から取り付くとビッグルートになる。硫黄尾根〜西鎌尾根〜槍〜北穂〜蒲田西尾根 | 50 |
1989.8.9〜12 | 西穂高〜奥穂高〜槍〜双六〜薬師〜立山〜剣沢 2ビバーク登山 |
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1990.7 | ガッシャブルムU峰8035m無酸素登頂。日本人初の五十代8000m峰無酸素登頂最高齢。 | 52 |
1990.12 | アコンカグア登頂。登山教室のアシスタントとして登山。 | 52 |
1991.12 | アイランドピーク登頂。海外登山教室を主宰して、登頂。 | 53 |
1992.9 | チュー・オユー峰8201m無酸素登頂。8000m峰最高齢無酸素登頂の記録の更新。 | 54 |
1994.8 | 北又渡〜聖岳〜茶臼岳〜易老岳〜光岳〜易老岳〜北又渡 ワンデイ登山。無酸素登山にはスピードが不可欠です。時々体力テストをする。単独登山 | 56 |
1994.10 | 猿倉〜白馬〜五竜〜鹿島槍〜種池〜扇沢 ワンディー登山。無酸素登頂の不可欠の連続15時間行動のトレーニング。単独登山 | 56 |
1995.8.10〜12 | 白馬岳〜槍ヶ岳までワンデービバークで単独登山 | 57 |
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2000.8〜10 | ダウラギリT峰8167mに、無酸素登頂世界最高齢の樹立を目指すが7000mで敗退。 | 62 |
2004.9 | モンゴルのツアストに登頂。高所登山ではなくて、モンゴルの草原を馬で駆けるツアーにでる。 | |
その他、心に残る登山 | ||
1月 | 甲斐駒黄蓮谷右股。仙丈岳沢ソーメン流しの滝。 | 62 |
2、3月 | 錫丈前衛峰三ルンゼ。左稜カンテ | |
4、5月 | 穂高屏風岩雲稜ルート。滝谷出会〜第四尾根〜ツルム正面壁 | |
7月 | 丸山東壁。明星山フリースピリット。唐沢岳幕岩左岩壁S字ルート | 64 |
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