「立つこと」再入門
人間性心理学会22回大会自主企画論文から転載しました。
 
キーワード 気功 立つこと 自立 鍛煉
 
1,はじめに
 気功は中国の伝統的な文化遺産であり、中国医学のひとつを構成するものであるとともに、医学や民間の中に連綿と受け継がれてきたものである。その目的は、人の精神と肉体、運動と呼吸を一致させ、「真気」を鍛錬してゆくことにより、有病治病、保健強身、延年長寿をさせることにある。ゆえに、古来より気功は病気を除き、寿命をまっとうする重要な手段だと考えられてきた。
 人間性心理学会14・15回大会では、座功と収功を通して、自分自身を理解するということを行なったが、今回は立つことを基本とする気功の站立功を通して、立つことの意味を自分の身体を通してより深めてもらいたいと企画した。站立功を通じて、参加された方の身体感覚を視感・手感・体感を通じて理解し、ひとりひとりの身体の状態を大切にしながら、その人にあった立ち方を提示し、ともに気功を行いながら進めていきた。そして、最初に味わった「立ちやすさ」と終了に近い時点での「立ちやすさ」の違い、足裏が床にぴたっとつくことにより、身体やこころが安定する気持ちよさを味わってもらいたいと思う。
 先日、他の気功教室で気功を学ばれた人を指導したが、立つと膝を曲げ力を抜いた状態のため、力を抜くな、膝を曲げるなと指摘した。緩めすぎていては、身体が沈む力だけしかなく、身体を上へと伸ばしていく力と外へ広げる力が生まれないため、自分自身の中に力を育てられないからである。
 むろん、初めて参加される人々であっても、いつもは脳から身体へ命令し、動かしている日常から逆転し、身体感覚を直接に脳が聞くという経験は役だつものだと信じている。可能ならば、身体感覚をイメージに置き換えたり、部分的な身体感覚だけに注意を向けないで、ひたすら部分部分の身体感覚を受け取り続けることによって、それが次第にひとつにまとまり、身体全体の感覚に広がり、最後には全身のどこをとっても同じ感覚になっていくことが経験できることを希望する。
 多くの人の身体は歪んでいる。しかし、それを大切にし、そこを基礎や出発点とすることなく、本来のまっすぐにすることはできない。そのことも終了時には理解されると思う。
 
2,立つことと站立功
 立つという動作は、身体的には立つことで歩く−移動するという動作が可能となるだけでなく、両手でものを掴む、操作できるという、人間として最も基本となるものである。心理的には立つというのは、「自立」ということが含まれている。ちゃんと立って、身体が安定している人の多くは、心理的にも安定していることが多い。病院などで、身体がふらふらしている人は病状も不安定で、心理的に不安定な状態にある。こうした人に気功を指導することによって身体が安定するようになると、病状もある一定の落ち着きを見せるようになることは、これまでの経験からいえることである。
 気功には、太極拳のように緩やかに動くことによって、次第にすべての身体の動きがひとつに調和されていく「動功」と、空間的には身体を動かさないで、立ったまま、あるいは座ったまま、身体のすべての感覚を受け取っていくことより、次第に身体のすべての感覚が同じものになっていくことを待つ「静功」がある。
 静功は、気功の中で最も基本となる「気功のやり方」であると同時に、気功が上達する最も早い道であり、心身に対する効果も最も高いものである。静功の中でも、立つ功法は站立功といい、気功のやり方で最も一般的なものであり、すべての気功の基本となるものである。
 站立功を長く続けていくと、身体の内部の運動が次第にまとまって外部の動きにつながり、それが動功の際に外部の動きにつながっていく。身体の内部の意識や運動がなく、動功の練習をするならば、それは西洋的な体操とまったく変わらないものとなる。
 
3,実際には?
 站立功を行なうには、まず両足のかかとをくっつけてつま先を90度に広げて立つ。そして、気持ちを落ち着け、気功に入るためのこころの準備をしながら身体がリラックスしてくるのを待つ。
そして、自分なりの感じでまっすぐに立ち、体重が足裏に集まってくるのを待つ。ここでは、機械的にまっすぐである必要はない。たとえ身体がまっすぐに立てなくとも、自分なりにまっすぐと感じられたら、それが大切である。体重が足裏に集まってきたと感じられたら、体重を左足に全部移す。その結果、右足を自由に動かせるようになり、力を抜くと右足のかかとを軸にして45度右方向に回転し、そこで足裏を床につける。そこから、逆に今度は体重全部を右に移すと、左足の力を抜くと、左足が右足にぶつかるように移動してくる。そのまま右足だけで立ったまま、左足を外側へ開くように肩幅ぐらいに立つ。
 このようにするのは、気功の基本である『つま先を平行に足を肩幅に開いて立つ』ための準備である。ここで大切なのは、こうして立った時、自分なりに立ちやすい形になることである。肩幅といっても一人一人立ちやすい幅があり、広げすぎると身体が安定し立ちやすくなる反面、長く立つと疲れやすく、幅を狭くすると疲れにくい反面、身体が不安定になりやすい。
 そこから、体重のすべてを両足に乗せるようにし直し、集まってきて、身体が安定してきたら、弓のように丸くして身体の前で肩を含めて全体に円になるように形を作り、円全体の腕の重さを利用して肩を緩める(松肩)。ここで大切なのは、虚脇、つまり脇の下に卵一個分を挟むように隙間を作ることである。開きすぎると卵を押しつぶしてしまい、広げすぎると落ちてしまう。5本の指先は軽くひろがり、左右に指先が向かい合うようにして形作る。
 舌先は自然に伸ばし、視線は床と平行に遠くを見るようにする。見るといってもじっと見るのでなく、実際には視点はその前にあり、見えてもそれに注意を向けることはない。站立功で目を閉じるということは多いが、これはその状態のままでまぶたを閉じているだけで、見ようとする視線は閉じてはいない。より、深く静と動の状態に入ると、遠くに向けた視線の長さで身体の中の感覚に対して、見ている状態になる。ここまで形ができたら、身体の重さを両足にあずけ、立ち続けることが可能となる。
 意識を身体に向ける強さは、3/10でよく、これはひとりひとりの状態にあわせて、少し弱くした方が好ましい場合もある。外に向かう意識の強さは3、中には7である。下に沈む力は7、上に伸びる力は3になる。(内7外3 下7上3)
 身体感覚がまとまっていく方向に向かうことにより、胸は内に円弧を描くようにくぼみながら外に向かって伸び、背中は円弧を描くように外に向かって伸びる。(含胸抜背)。腹部は内に向かって引き込まれ、(収腹収腰)同時に腰骨は腹部が横へも伸びる力の円弧状にあるため内転し外へ広がっていく。そして、最後に身体の意識の中心として「丹田」が浮かび上がってくるようになる(意守丹田)。そして、沈む力と上へと伸びる力はより強くなり、より足裏がぴたっと吸い付くようになり、身体とこころがより安定することにある。站立功では、気持ちは非常に落ち着いているが、感覚は非常に敏感な状態となる。
 
ホームページに戻る