やっぴらんど楽しい世界史テーマ史『天使と悪魔』を読み解く≫(8)ガリレオ・ガリレイ

 ガリレオ・ガリレイ

フリーメイソンから離れ、再びイルミナティに話を戻します。

『天使と悪魔』には、ラングドンがこんな説明をするくだりがあります。

「…16世紀、ローマのある団体が教会に反旗をひるがえしたことがありましてね。物理学者、数学者、天文学者などの、イタリアで最も知性ある人々の一部がひそかに集まって、教会の誤った教理についての懸念を話し合うようになりました。教会による“真理”の独占が世界全体の啓蒙を阻害するのではないかという不安を抱いたのです。そこで彼らは世界で最も古い科学のシンクタンクを創設し、みずから“啓示を受けた者たち”と称しました」

それが「イルミナティ」だというわけです。

そして、当時のイルミナティの暴力的な方向性を批判したのが、ガリレオ・ガリレイだったと言います。

ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)。ミケランジェロが死んだ年に生まれ、ニュートンが生まれる前年に死んだ物理学者、天文学者。「それでも地球は動く」というあまりにも有名なつぶやきは作られた伝説であるにしろ、天体観測によってコペルニクスの地動説を証明したことは紛れもない事実です。彼が自作の望遠鏡で発見した、木星の4つの衛星、金星の公転、太陽の黒点、月面の凸凹などは、その後の天文学の発展に大きく寄与するものでした。

彼は自説を『天文対話』(1632年)という本に著していますが、天動説をとるカトリック教会によってただちに禁書とされます。『天使と悪魔』では、ガリレオが著したとされる謎の書『真実の図表(ディアグラッマ・デッラ・ヴェリタ)』に書かれた暗号に基づいて、枢機卿が一人ずつ殺されるという設定になっています。

著述の禁止はおろか、宗教裁判にかけられたり、投獄、幽閉までされた上、死後でさえ家族の墓地に一緒に葬られることも弔辞を読むことも碑を建てることも禁止されたガリレオは、まさに科学の申し子として、宗教の対極に置かれることが多いのですが、実は、彼自身は敬虔なカトリック信者でした。ラングドンの説明を再び引用しましょう。


「ガリレオはイルミナティの会員でした。そして、敬虔なカトリック教徒でもありました。ガリレオは、科学は神の存在を脅かすものでなく、むしろそれに説得力を与えるものだと訴えて、科学に対する教会の立場を軟化させようと試みたのです。たとえば、望遠鏡で惑星の自転を観察していたら、天空の音楽のなかに神の声を聞いたという話を書き記しています。ガリレオの主張は、科学と宗教とは敵ではなく友である、ひとつの物語を紡ぎ出すふたつの言語であるというものでした。天国と地獄、夜と昼、熱さと冷たさ、神と悪魔…そんな均整と調和に満ちた物語であり、科学と宗教は、神の与えたもうた調和を──光と闇との果てなき葛藤を享受できるのだと」

『天使と悪魔』の最大のテーマは、何度も書きますが、「科学と宗教」です。たとえば、宇宙の始まり。科学的には「ビッグバン」という説明がなされますが、宗教(キリスト教)では、神がすべてを創始されたのだと言う。本の中でも触れていますが、実はビッグバン理論を最初に提唱したのは、ベルギーのジョルジュ・ルメートルというカトリック教会の司祭だというのが何やら意味深です。「ハッブル理論」で知られる米国の天文学者ハッブルは、その2年後の1929年に、地球に対して銀河があらゆる方向に遠ざかっていることを発見し、ビッグバンに理論的な裏付けを与えました。

ただ、科学がいまだに証明できていないのが、「時刻ゼロ」つまり宇宙創生の「瞬間」のことです。「無」からどうして物質が生じるのか。宗教は、それこそ「神」のみわざだと主張するわけですが。こうなるともはや、科学でも宗教でもどっちでもいい、あるいは、どっちでもないとしか言いようがありません。結局、反目しあっている事柄はごく瑣末なことで、科学も宗教も分けてとらえることはできないのかもしれません。

多くの科学的功績を残したガリレイという人物が、同時にキリスト者でもあったこと自体が、そのことを物語っているような気がします。

ガリレイは、1980年代になって、ローマ教皇(昨年亡くなったヨハネス・パウルス2世)が宗教裁判の見直しを命じ、教皇自ら裁判の誤りを認めました。正式に名誉回復が宣言されたのは1992年のことです。死後450年、ようやく彼は復活できたのです。

2006-08-29