やっぴらんど楽しい世界史テーマ史『天使と悪魔』を読み解く≫(1)宗教vs科学

 宗教vs科学

『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウンの1作目にあたるこの作品。主人公は、『ダ・ヴィンチ・コード』と同じく米・ハーバード大学の象徴学者ロバート・ラングドン。映画をみてしまっているせいで、どうしてもトム・ハンクスの顔がちらついてしまうのですが、読んでいるあいだ中、やっぱりトム・ハンクスじゃないよな〜という気がずっとしていました。

彼がいきなり訳もわからないまま事件に巻き込まれていく、という冒頭の設定は『ダ・ヴィンチ・コード』とよく似ています。高名な象徴学者である、ということが仇になるわけです。午前5時過ぎにボストンの自宅にかかってきた電話にたたき起こされたラングドンは、2時間後には最新鋭の「宇宙飛行機」でスイスのジュネーブに運ばれ、数時間を「CERN=セルン、欧州原子核研究機構」で過ごしたのち、その日の午後にはローマ、ヴァチカン市国に身を置く羽目になる。ヴァチカンで彼を待ち受けていたのは、予想だにしない悲劇だった…。

24時間の出来事を文庫本3冊でたどっていくため、少しまどろっこしいところもなきにしもあらずですが、この作品、「ダ・ヴィンチ・コード」以上におもしろいかもしれません。ラストのどんでん返しも十分楽しめるし、「イルミナティ」をはじめとする歴史上の謎や、ローマ教皇を選出するコンクラーベの様子を知ることもできます。『ダ・ヴィンチ・コード』と同じく謎解きの鍵を握るのはキリスト教の教会やそこにある芸術品なのですが、それらについても大変興味深く読ませてくれます。その意味では、この作品もいずれ映画化されるらしいので、そちらも楽しみです。

『ダ・ヴィンチ・コード』は、イエスという男にまつわる謎がテーマでした。『天使と悪魔』のテーマはずばり、宗教 vs 科学です。

キリスト教の宗教的価値観と科学的な価値観は、真っ向から対立する概念として語られてきました。中世末期のヨーロッパで「地動説」を教会が認めなかったという歴史をひもとかずとも、現代においても、たとえば米国では学校で「進化論」を教えることが禁じられている州があったりします。

近代の日本は、政治や経済の仕組み、文化のほとんどを西洋から取り入れてきました。「政治」、「経済」、「文化」という言葉自体、ヨーロッパの単語の訳語として明治以降に作られた言葉です。「個人」、「教養」、「道徳」、「権利」、「人権」、「科学」、「契約」といったしばしば西洋思想のキーワードとして用いられる言葉もしかり。ところで、「個人」も「人権」も、西洋では「神」という観念がその背景にあります。「神」に対しての「個人」であり、「神」と人間との「契約」が存在し、「神」との「契約」によって守られるべきものが「道徳」であり、「神」と対峙するのが「科学」なのです。みんな「神」がキホンなのです。

しかし、日本は「神」の観念つまりキリスト教的な価値観だけは完全には受け入れなかった。日本人にとって「人権」といっても今ひとつピンとこないのも、「個人」の自立が大切といっても完全には割り切れないものを感じたりするのは、そのためだと思っています。

宗教と科学の対決、という図式も、私たち日本人にとってはそれほどなじみ深いものではありません。頭では理解できても、「身体」にはすんなり入ってこないという感じでしょうか。自分自身も含めて、キリスト教的世界観とか「神」の存在を「感覚的に」理解することができない多くの日本人にとって、科学との対立構造なんて理解できるハズがないのです。

もっとも、世界の中では、「宗教vs科学」なんて言う前に、宗教的価値観(「神様」)の方が科学より優先されることの方が多いような気がします。そっちに身を委ねた方がなんとなく安心するのかもしれません。私たちの身のまわりにだってそんな例はいくらでもありますね。

「コンクラーベ」、「イルミナティ」、「フリーメイソン」、「反物質」、「ベルニーニ」…。そんないくつかのキーワードをもとに『天使と悪魔』を読み解いていきたいと思っています。

2006-07-21