やっぴらんど楽しい世界史テーマ史『ダ・ヴィンチ・コード』を読み解く

 テンプル騎士団

十字軍(12〜13世紀)は、名目上、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還しようとする一大ムーブメントでした。たいていの十字軍兵士は聖地より戦利品が目的だったりしますから、戦いが終わればおみやげ抱えてさっさと故郷に帰っていきました。ところが、奪い返した聖地を守ろうとした敬虔なキリスト教徒たちがいました。彼らは、修道士の誓願を立てると同時に、「騎士」としての資格も合わせ持ち、聖地の防衛と巡礼者の保護にあたりました。彼らを宗教騎士団Orders of Knighthood と呼びます。

「騎士」というと、忠誠心、武勇、礼節、弱者や女性ヘのいたわりといった「騎士道」に象徴される高潔な精神を持った兵士というイメージを抱きます。「騎士団」は、英語で"order"と呼ぶように、確かに「秩序」や上下の「序列」を重んじる騎士たちの結社ということになります。ところが、いわゆる「世俗」の(戦うことだけが仕事の)騎士団というものは中世ヨーロッパには存在しなかったのです。どういうことかというと、封建社会においては、領主や国王の力は限られており、「騎士団」を養うだけの財力がなかったからです。世俗の騎士たちは、戦争が始まったときだけ君主のもとに馳せ参じ、「騎士」として戦ったというわけです。

では、「騎士団」とは何かというと、それはたいていの場合、聖俗の資格を併せ持つ「宗教騎士団」を指します。なかでも、「三大宗教騎士団」と言われるのが、テンプル騎士団、ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団です。

ヨハネ騎士団は、第1回十字軍の際、傷病兵の救護にあたったことに始まり、ロードス島を本拠として地中海で活躍しましたが、オスマントルコに追われ、のちにマルタ島に移っています。現在も「マルタ騎士団」という名前で国際人道団体として(というより一つの国家として)活動を続けています。ドイツ騎士団は、第3回十字軍で成立し、プロイセン(ドイツの前身)の東方植民運動で活躍します。

テンプル騎士団は、1119年にエルサレムに設立されました。その名称は、かつてソロモン王の神殿(temple)があった場所に本拠地を設けたことに由来します。歴代教皇の庇護を受けたこともあって、テンプル騎士団には諸侯からの寄進が相次ぎ、その勢力はヨーロッパ全土に拡大しました。

彼らの残したものでもっともよく知られているのが、最古の銀行システムです。王侯貴族を相手に、貸し付け、財産管理、為替業務まで扱ったテンプル騎士団は、「国際銀行」として莫大な富を築くのです。

ところが、その富が彼ら自身の首をしめることになってしまいます。1307年、フランス王フィリップ4世はその富と金融システムを手中に収めるべく、テンプル騎士団の弾圧を強行します。教皇クレメンス5世もそれに手を貸します。テンプル騎士団に悪魔崇拝や同性愛嗜好などの異端としての罪状を着せ、騎士団に解散を命じました。この一斉弾圧が行われたのが10月13日の金曜日であり、「13日の金曜日」が不吉な日と言われているのはこのことに由来します。

ずいぶん前置きが長くなりましたが、「ダ・ヴィンチ・コード」全編を通して頻繁に登場するのが「テンプル騎士団」(Order of Templars)、別名「聖堂騎士団」です。本の中では、テンプル騎士団の設立目的は、一般に信じられているような聖地の守護ではなく、ソロモン王の神殿跡に眠る秘密文書を見つけ出すことにあった、としています。彼らはその文書を発見したおかげで、一夜にして富と権力を手にすることになったのだと。そして、「13日の金曜日」における弾圧も、実は教皇がその秘密文書を奪うためのものだったとしています。結局、文書はヴァチカンに奪われることなく、ひそかに持ち出され、イギリスに運ばれた…。

それほどまで重要な文書とは、いったい何が書かれているものなのでしょうか? 実は、その内容は、「ダ・ヴィンチ・コード」の根幹をなすといっていい「キリスト教最大の秘密」だったわけですが、それについてはまた次回に…。

なお、サイモン・コックス著「ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く」によれば、テンプル騎士団の残党の一部はスコットランドに逃亡し、のちに初代スコットランド王となるロバート・ドゥ・ブルース(映画「ブレイブ・ハート」にも登場する)に歓迎されて、彼とともにイングランド軍と戦っているんだそうです。

05/06/06