やっぴらんど楽しい世界史テーマ史オリンピックの話

 ヒトラーの五輪

これまで、予定されながら開催されなかったオリンピックが次の3回あります。

・第6回ベルリン大会(1916年)
・第12回ヘルシンキ大会(1940年)
・第13回ロンドン大会(1944年)

6回ベルリン大会は、開催直前に始まった第一次世界大戦により、また第12回および第13回は、第二次世界大戦のため中止されています。いずれも中止の理由は「戦争」です。ちなみに、第12回は当初東京が開催地とされていましたが、のちに返上したため、フィンランドのヘルシンキで開催されることになったものです。また、第14回ロンドン大会(1948年)では、第二次世界大戦の責任を問われて、日本とドイツは招待されていません。

なお、第13回開催予定のロンドンではそのままスライドさせて第14回大会が開催されています。第12回予定のヘルシンキでは1952年に第15回大会が、そして、第6回を開催する予定だったベルリンでは、1936年、第11回大会が開催されています。

11回ベルリン大会は、ヒトラーのオリンピックとも言われます。

1933年にドイツの政権を握ったヒトラーは、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)による一党独裁体制を敷くとともに、ユダヤ人をスケープゴートにしながら、世界制覇を目指していました。ヒトラーは政権掌握とともにオリンピックの誘致に乗り出しています。彼にとってオリンピックは、ドイツ民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会だったのです。

実際、大会はヒトラーの思惑通りに進められました。開会式に詰めかけた10万人の観衆は右手を掲げて「ハイル・ヒトラー!」と叫び、彼自身が世界に向けて開会宣言をし、また、初めて聖火リレーが行われたのもこの大会でした。

この聖火リレーは、実はヒトラーにとって大きな意味があったのです。聖火リレーはギリシアのオリンピアからバルカン半島を北上し、ベルリンにやってきます。ヒトラーは聖火リレーの下見と称してルート上の国々の道路や地形を調べさせました。そして、数年後に聖火リレーと逆方向にナチスドイツ軍の侵攻が行われていくのです。

また、聖火リレーに使われたトーチは、ドイツ最大の兵器製造会社クルップ社によって製造されました。トーチに使われたステンレスは、やがてナチスの兵器製造に応用されていきました。

ベルリン五輪は、人種差別、民族差別に彩られたオリンピックでもありました。ユダヤ人の参加はナチス政権によって拒否され、黒人や有色人種に対する露骨な差別が行われました。

たとえば、陸上男子で史上初めて4つの金メダルを獲得した米国の黒人選手ジェシー・オーエンス(Jesse Owens,1913-80)に対して、ヒトラーが祝福の握手を拒否したというエピソードが伝えられています。実際には、オーエンス自身はヒトラーとはタイミングが合わず握手の機会がなかったようですが、陸上初日の走り高跳びで金メダルを獲得した黒人選手は、ドイツ人の金メダリストがヒトラーの席に呼ばれて祝福されているにもかかわらず、明らかに祝福を拒否されているのです。

いずれにしても、人種的に「劣っている」はずの黒人選手が活躍することは、ヒトラーにとって不愉快極まりなかったことは間違いありません。彼にとって、「人間と動物(黒人のこと)が競走するのは不公平」だったのですから。

なお、オーエンスが獲得した4つの金メダルとは、100m、200m、400mリレー、走り幅跳びですが、1984年のロサンゼルス大会でカール・ルイス(Carl Lewis 1961- )が同じ種目でやはり4冠を達成しています。

ヒトラーは、1934年のナチス党大会の記録映画で実績があった新進の映像芸術家レニ・リーフェンタールに命じ、ベルリン大会の記録映画を撮らせています。オリンピック最初の公式記録映画「オリンピア」(邦題:「民族の祭典」「美の祭典」)は、ナチスの宣伝映画と見られていますが、彼女は映画のテーマを「スポーツの美と力」とし、映像的にも極めてすぐれた作品を作り上げています。

04/11/22