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 古代オリンピア競技会とクーベルタン

近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタン男爵はフランスの貴族です。

彼は若い頃に触れたイギリスのパブリックスクールのスポーツ教育に感銘を受け、フランスでもそれを根付かせたいと考えました。また、彼は国民の士気を高めるためには青少年のスポーツしかないと考え(意外とド根性好きか、この男爵)、 さらに各国の状況視察を通しては、国別の対抗戦形式にするのがいいと考えるようになりました。

こうしてクーベルタンは1892年、「ルネサンス・オリンピック」と呼ばれる演説を行い、オリンピック競技会の復活を世界に訴えるのです。これにはあまり反応がなかったのですが、彼はくじけることなく運動を続け、ついに1894年に開かれた国際会議でオリンピックの復活が決定されるに至ったのでした。

第1回大会は1896年に古代オリンピック競技会発祥の地アテネで開催されることになりました。

実は、クーベルタン自身は、祖国フランスのパリで第1回を開催したかったらしい。ところが、パリ大会は1900年開催の予定であり、オリンピック復活でいけいけモードの同会議で、6年後というのは長すぎるという雰囲気が圧倒的だったため、やむなくギリシア開催に同意したと言われています。この会議では、IOC(国際オリンピック委員会)設立も決定されますが、当時は、開催国から会長を出すことになっていたため、初代IOC会長の栄誉もギリシア人に持っていかれてしまいました。もちろん、第2回はパリで開催され、クーベルタンは第2代IOC会長にめでたく就任しています。よかったよかった。

また、第1回アテネ大会は男性だけのオリンピックでした。これは、古代オリンピックに因んだというよりは、貴族であるクーベルタン男爵が、女性は勝利者に栄冠を与える役目がふさわしいと考えていたからです。

第2回パリ大会ではさすがに女性の参加も認められましたが、今ならとても許されない考えですね。

危うし!クーベルタン。

第1回アテネ大会の種目は、陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8競技42種目。競技自体はどれも現在も行われていますが、中身を見るとずいぶん違うようです。水泳競技はプールではなく海で行われ(!)、「100m潜水」という恐ろしげな種目があったりしますし、体操競技の中に重量挙げが含まれていたり、「鉄棒団体」「綱登り」なんて興味深い種目もあります。陸上ではトラックを右回りに走っていたし、マラソンも42.195kmではなく、36.75kmでした。

さて、クーベルタンがそんなにまでして復活させたかった古代ギリシアのオリンピア競技会とはどんなものだったのでしょう。

「オリンピック」の語源ともなっているオリンピアとは、ギリシア神話に登場する最高神ゼウスの神殿があった場所です。 古代ギリシア時代、ここで4年ごとにゼウスを讃える祭典と競技が行われました。同じような競技会は、実はオリンピア以外の3カ所でも開催されていましたが、そこはやはり大神ゼウスに捧げる祭りということで、オリンピアの祭典がもっとも盛大に行われたようです。オリンピア競技会の優勝者の記録が残っているのが紀元前776年からなので、通常この年のオリンピックが第1回とされています。

古代ギリシアでは、ポリスと呼ばれる都市国家が分立していました。「ギリシア」という国があったわけではなく、「アテネ」とか「スパルタ」というポリスの集合体がギリシアだったわけです。住んでいるポリスは違っていても、彼らは同じギリシア人であるという強い同胞意識を持っていました。自分たちを「ヘレネス」(“英雄ヘレネの子孫”という意味)と呼び、異民族は「バルバロイ」(汚い言葉を話す者)と呼んで蔑んでいたことにそれが表れています。「ヘレネス」は共通の言葉ギリシア語を話し、ゼウスを筆頭とするオリンポス12神をあがめ、そしてオリンピアで強さと美しさを競ったのです。

当時の競技会の種目は、短距離走、長距離走、五種競技、円盤投げ、槍投げ、ボクシング、パンクラテオン(総合格闘技)、馬車競争(戦車競争)などでした。短距離走は、当時1スタディオンと呼ばれた192mの距離で行われ、第1回から続くもっとも伝統ある種目でした。競技会の期間は5日間ですが、初日は開会式とゼウスの祭典が、最終日は勝者を讃える宴がそれぞれ行われたので、競技自体は3日間で実施されました。

競技会の1ヶ月前になるとギリシア中に開催を告げる使者が送られ、各地から続々と選手が集まってきます。

古代オリンピックでは期間中一切の戦争が中止されたというのは有名な話ですが、実は期間中というのは本番の5日間だけではなく、お触れが出されてから1ヶ月間だったのです。

ということは、戦争を中止したのは、集まってくる選手や見物客の道中の安全を守るためだったということなのです。のちに競技会の規模が拡大すると、休戦期間は3ヶ月に延ばされました。

休戦協定を破ったポリスには厳しい罰則が与えられ、他のポリスと絶縁関係とされます。今でいう経済制裁でしょうか。

実際、スパルタがこの禁を破ったため、一時競技会への参加を禁止されたこともありました。これは経済制裁なんかよりずっとつらい罰則でした。
ゼウスの祭典に参加できないということは、ゼウスの加護が受けられないということですから。

政治的な思惑で参加をボイコットしてしまう現代のオリンピックとはその意味するところは全く異なっていたのです。

さて、優勝者には最高の栄誉が与えられました。その象徴がオリーブの冠でした。

オリンピアの神殿に像が作られ(このことは「神と同席することを認められた」ということを意味しました!)、故郷では英雄として迎えられ、多額の褒賞金が与えられたり、税が免除されたり、いずれにしても永遠にその名を残すことができました。

ところが、本来オリーブの冠という無償の栄誉だけが与えられていた競技会が、このような「現ナマ」の威力によって徐々に腐敗していくのです。勝つために審判を買収したり、競技そのものに不正を加える不届き者が出てきました。今ならさしずめドーピングでしょうか。

紀元前2世紀、ギリシアはローマの支配下に入ります。

ローマ時代にも競技会は続けられましたが、ネロ皇帝が自分で参加したいばかりにむりやり「音楽競技」を加えて自分の歌を披露したり(まるでジャイアン)、4年ごとの原則を破ったりと、ローマ皇帝という権力のもとでオリンピア競技会の性質がゆがめられてしまうこともあったようです。

その後キリスト教がローマ領内に普及するにつれて、オリンピアの祭典は「異教」の祭典として廃れていきます。4世紀、キリスト教がローマの国教となったことで、オリンピア競技会は正式に禁じられ、1000年以上にわたる293回の開催をもって幕を閉じたのです。

近代オリンピックの歴史はたかだか100年ちょっと、回数にして28回です。

早くも腐敗の芽が見えたりもしていますが、これから先、どこまで続き、またどんな風に変質していくのでしょうか。

04/11/22