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 米ソの協力と国際宇宙ステーション

 ポスト・アポロ計画

アポロ・ソユーズ1975年7月、宇宙開発史において画期的な計画が行われました。アポロ−ソユーズ計画、すなわち米国のアポロ宇宙船とソ連のソユーズ宇宙船のドッキングです。冷戦のまっただ中にありながら、米ソ両国が宇宙計画において初めて手を結んだのです。ソユーズ宇宙船に乗り組んだのは、ヴォスホート2号で初めてEVA(船外活動)を行ったアレクセイ・レオノフ船長とソユーズ6号に搭乗したクバソフ宇宙飛行士。一方のアポロ宇宙船には、アポロ10号で月面ぎりぎりまでの着陸リハーサルを行ったスタフォード船長はじめ、スレイトン、ブランドの両宇宙飛行士。スレイトンは、マーキュリー計画の「オリジナル・セブン」の一人ですが、当時 わずかな不整脈が見つかったため宇宙飛行ができないまま地上スタッフとして活躍していた人です。彼らはドッキング後、お互いの宇宙船に移乗し合いました。(写真はアポロ−ソユーズ計画 JSC Digital Image Collection より)

米国(NASA)は、ポスト・アポロ計画として、(1)完全再使用型スペースシャトル、(2)宇宙ステーション、(3)スペース・タグ(軌道間輸送機:宇宙ステーションと他の軌道との間で物資を輸送する)の3者からなるシステムを構想していました。しかし、長引くベトナム戦争の影響や深刻な財政難のため、結局「完全再使用型」ではない「一部再使用、一部使い捨て型」のスペースシャトル計画のみが生き残ることになります。

 米ソの宇宙ステーション計画

宇宙ステーションについては、ソ連が1971年4月に最初の宇宙ステーション、サリュート1号を打ち上げています。サリュートは7号まで打ち上げられ、ソユーズとのドッキングにより宇宙飛行士の長期滞在など多くの宇宙実験が行われました。1986年には本格的な宇宙ステーションとしてミール(「平和」の意)が打ち上げられます。ミールは、様々な宇宙観測のための合体型の宇宙ステーションであり、1987年に天体物理観測モジュール「クワント」、89年に生命維持モジュール「クワント2」、90年に宇宙工学モジュール「クリスタル」、95年に科学実験モジュール「スペクトル」、96年に地球科学・環境監視モジュール「プリローダ」を順次追加・結合していき、全長約33m、最大収容人員6名の宇宙ステーションになりました。宇宙滞在期間においても、ポリヤコフが437日という記録を残しています。また、ソ連だけではなく、東欧諸国をはじめとする多くの国の宇宙飛行士がミールを訪れています。1990年12月には、TBSの秋山豊寛さんがソユーズに乗ってミールに飛び、6日間滞在しています。これは、日本人初、またジャーナリストとしては世界初の宇宙飛行でした。

ソ連の宇宙ステーション計画がこのように30年間にわたり継続的に行われたのに対し、米国のそれは極めて短期的、一時的な計画にすぎませんでした。1973年から翌年にかけて実施されたスカイラブ計画がそれです。

スカイラブ(「空の実験室」)は、アポロ宇宙船打ち上げに使われたサターンV型ロケットの3段目をそのまま利用するものでした。したがって、宇宙ステーションというとSF映画に出てくるようなドーナツ型の形状を思い浮かべますが、実際には円筒形に巨大な太陽電池板が取り付けられた少々不格好なスタイルになりました。(写真はスカイラブ  JSC Digital Image Collection より)

スカイラブ1号は1973年5月25日に無人で打ち上げられ、その後スカイラブ2号から4号まで、3人ずつの宇宙飛行士が1号とドッキングして移乗し、それぞれ約1ヶ月単位で滞在しています。その間、約2400種類もの実験が行われ、多くの成果を残しました。自らの肉体を使った無重力環境における人体実験、金属の加工実験、太陽や地球の観測…。これらの実験成果は、その後の宇宙計画のみならず、物理学、天文学、生物学、医学といった多くの分野での研究に大きく貢献することになりました。少なくとも、アポロ計画で莫大な費用をかけて月に人間を送り込んだ、その成果に比べると、費用対効果の点ではスカイラブ計画に軍配が上げられるのは当然です。

さて、役目を終えたスカイラブは、1979年、地球上に落下することになりました。なにしろ重さ87トンもある巨大な「星」です。大気圏突入でバラバラになり燃え尽きるにしても、その破片は間違いなく地上にまで到達します。しかも、スカイラブには軌道変更用のロケットはついていませんからコントロールすることは不可能です。いったいいつどこに落ちるのか─。結局、スカイラブの破片は、インド洋からオーストラリア南西部までの幅60km、長さ3900kmの地帯に落下しました。幸いなことに人身事故はありませんでした。ちなみに、ロシアのミールは、2001年3月23日に大気圏に突入して天寿を全うしていますが、このときは慎重に落下地点がコントロールされ、狙いどおり南太平洋上に落下させています。

 スペースシャトル計画

より少ない費用で宇宙開発を進めたいという発想から生まれたのが、米国のスペースシャトル計画でした。「シャトル」とは、もともと織物機械の「梭(ひ)」のことで、左右に往復させることによって織り上げていくために使われます。スペースシャトルは、繰り返し使用でき、何度も地球と宇宙を往復できる点に最大の特徴があります。なお、「シャトル」はこの後、列車や飛行機などほかの乗り物にも使われるようになります。

スペースシャトルの計画自体は1972年に開始されましたが、実現したのは予定より2年遅れの1981年4月12日でした。この日、スペースシャトル1号機であるコロンビアが打ち上げられたのです。4月12日というのは、米国にとって忘れられない日でした。というのは、ちょうど20年前のその日こそ、ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を行った日だったからです。ただ、あえてその日を選んだというわけではなく、相次ぐ打ち上げ延期によりたまたまその日になったというのが真相のようです。ともかく、アポロ11号以来、米国国民は久しぶりに宇宙への夢をかきたてられることになります。

スペースシャトル打ち上げスペースシャトルは、前述のように、当初は完全再使用型を目指していましたが、財政難により「一部再使用型」に変更されました。すなわち、再使用されるのは、スペースシャトル本体ともいうべき「オービター」の部分と固体ロケットブースターだけで、打ち上げ時に使われる外部燃料タンクは使い捨てされるのです。固体ロケットブースターは、打ち上げから約2分半後に切り離され、洋上に落ちて回収され再使用されます。外部燃料タンクもその後切り離されますが、こちらは使い捨てにされるのです。オービターの部分だけが宇宙を飛び、そのまま大気圏に再突入して、アポロ宇宙船のように洋上に「落ちる」のではなく、飛行機のように滑走路に着陸して帰還します。(写真はスペースシャトルの打ち上げ(STS-112,2002/10/07)  NASAホームページより)

スペースシャトル帰還オービターの全長37.2mに対して、燃料タンクは47mもありますので、打ち上げ時は燃料タンクに「スペースシャトル」がおんぶしているような感じがしてどうにかならんのかと思いますが、それに比べて、あの、帰還の時のかっこよさは何度見てもしびれます。聞けば、帰還の時は無動力だそうで、グライダーと同じなんだそうです。ということは、着陸に失敗したからといって再び上昇、やり直すということができないとゆーことではないですか。高度2万3000m(飛行機の2倍の高さ)で時速1600km、そこからピンポイントで滑走路に滑り込むなんて神業としか思えません。もちろん、コンピュータによる綿密な計算のもと自動操縦されるのだそうですが…。(写真はスペースシャトルの帰還(STS-68,1994/11)  NASAホームページより)

大気圏再突入時に生じる超高温の摩擦熱から守るために、オービターの下面には耐熱タイルがびっしりと貼られています。その数3万1000枚。しかも、オービターの形状に合わせて形・大きさがすべて異なっており、ジグソーパズルのように1枚1枚手作業で貼り付けるのだそうです。しかも、オービターは再使用されるため、はがれ落ちたタイルは再度貼り直さなければなりません。耐熱タイルこそ、スペースシャトルの命綱と言えるかもしれません。

オービターはこれまで5機作られていますが、これまでに2機が事故で失われています。1986年1月28日、チャレンジャーが打ち上げ73秒後に空中爆発し、7名の宇宙飛行士が犠牲となりました。事故の原因は、固体ロケットブースターの継ぎ目の不良から炎が吹き出したためとされていますが、その部分は以前から欠陥が指摘されていながら放置されていた部分であること、当日は異常な寒さの中で打ち上げが強行されたことなど、NASAの安全対策に対する姿勢が厳しく問われました。NASAは改めて安全改修に努め、また組織改革も行い、この事故後、次のシャトルが飛ぶまでに約2年半を要しました。

■オービターの名称と使用期間
コロンビア 1981年4月12日〜2003年2月1日
チャレンジャー 1983年4月4日〜1986年1月28日
ディスカバリー 1984年8月30日〜
アトランティス 1985年10月3日〜
エンデバー 1992年5月7日〜
しかし、2003年2月1日、スペースシャトル2度目の惨事が起こってしまいます。地球帰還時にコロンビアが空中分解してしまったのです。16日間のフライトも残り16分、既に着陸態勢に入ってからの突然の事故でした。当初、打ち上げの際、機体に衝突した燃料タンクの断熱材が事故の原因だとされましたが、現在ではその見方は否定され、「迷宮入り」と見ているメディアもあるようです。次のミッションには日本人の野口聡一宇宙飛行士が搭乗しますが、現在のところ2005年3月から4月までの間に打ち上げが予定されているようです。
■スペースシャトルに搭乗者した日本人(4名、6回)
氏 名 年月 スペースシャトル名 メ モ
毛利   衛 1992年9月 エンデバー(STS-47) PS。日本人初の搭乗。43の宇宙実験を行う。
向井 千秋 1994年7月 コロンビア(STS-65) PS。「宇宙メダカ」など微少重力環境における生物に関する実験を行う。
若田 光一 1996年1月 エンデバー(STS-72) MS。マニピュレータ・アーム(船外で使われる“マジックハンド”)の操作を行う。
土井 隆雄 1997年11月 コロンビア(STS-87) MS。日本人として初めてEVA(船外活動)を行う。
向井 千秋 1998年10月 ディスカバリー(STS-95) PS。2回目の搭乗。ジョン・グレンと一緒のフライト。「宙返り 何度もできる 無重力」の下の句を募集。
毛利   衛 1999年9月 エンデバー(STS-99) MS。2度目の搭乗。

オービターの役割は、クルーとペイロード(荷物)を宇宙空間に輸送することにあります。オービターの中央には広い荷物室(ペイロード・ベイ)が設置され、最大29.5トンのペイロードを搭載することができます。ペイロードは、NASAが各国の機関や大学、企業などから有料で請け負い、積み込まれます。これまで、数々の実験装置のほか、人工衛星やハッブル宇宙望遠鏡などもペイロードベイに積み込まれ、宇宙空間に放出されています。

スペースシャトルには、船長、パイロットという操縦を主任務とするクルーのほかに、ミッション・スペシャリスト(MS=搭乗運用技術者)とペイロード・スペシャリスト(PS=搭乗科学技術者)と呼ばれる専門職の宇宙飛行士が乗り組んでいます。MSは、シャトルのシステム運用、ペイロード操作支援、EVA(船外活動)などを担当する専門職です。

一方、PSは、ペイロードの実験装置や観測装置の操作や実験を担当する科学者、技術者です。このことからも、もはや宇宙開発の目的が、宇宙に行くことだけではなく、宇宙において様々な分野の実験を行うことによって、学術的・学際的な進歩と発展に寄与することに変わってきたことがわかります。チャレンジャーの事故以来、より安全な宇宙開発をめざし、スペースシャトルの任務は、そのような、有人でしかできない活動に限定されるようになってきています。たとえば人工衛星の放出などは無人のロケットでも十分可能なわけです。次に述べる国際宇宙ステーション(ISS)も 、スペースシャトルの宇宙飛行士がEVAによって組み立てることを前提に設計されているのです。

 国際宇宙ステーション(ISS)

国際宇宙ステーション(ISS)は、当時のレーガン大統領によっ提唱され、日本、欧州(ESA)、カナダの共同開発で進められてきた恒久的な宇宙ステーションです(1993年よりロシアが正式参加)。ISSは高度約400kmの軌道上に建設され、ミールと同じように、モジュールを組み合わせて成長します。モジュールは各国がそれぞれ開発し、40回以上に分けてスペースシャトルやソユーズによって運ばれ組み立てられていきます。完成すれば、常時6名が滞在し、交代で実験や観測にあたることになります。

日本のモジュールは「きぼう」と命名されていますが、もちろん日本人も常時滞在することになるでしょう。ミールの施設や機能では不十分だったこと、またスペースシャトルの2週間程度のフライトでは限界があったことが、ISSでは可能になります。何よりも、人類にとって、初めて「国境がない場所」ができるのです(とりあえず先進国に限られますが)。ISSの完成は、2005年に予定されています。

参考文献
『宇宙ロケットなるほど読本』(阿施光南著、山海堂、2003年)
『最新 宇宙開発がよくわかる本』(中村浩美著、中経出版、1999年)
『図解雑学 宇宙旅行』(柴藤羊二著、ナツメ出版、2003年)

04/05/05