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 サグラダ・ファミリア  El Temple Expiatori de la Sagrada Família

ガウディの構想

自由の女神が完成する4年前、スペイン・バルセロナで一つの教会の建築が始まりました。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)です。その名の通り、イエス、マリア、ヨゼフの聖家族に敬意を表するために建てられた教会ですが、この教会はその特異なスタイルとともに、着工から120年以上が経過しているのに未だ未完成である、ということでも世界に例を見ない建築物と言えるでしょう。数年前にインスタント・コーヒーのCMでも取り上げられましたが、この建築には日本人彫刻家外尾悦郎という方も関わっています。

サグラダ・ファミリアといえばアントニオ・ガウディです。彼は、着工翌年の1883年に主任建築家となると同時に、当初は“ふつうの”教会になるはずだったサグラダ・ファミリアの設計を大きく変更したのです。内側にやや傾いた4本の尖塔、まるで蟻塚のような土色の外観、壁面を飾る無数の彫刻群…。

ガウディの計画によると、教会は3つのファサード(正面)からなり、東側に「生誕の門」、西に「受難の門」、 そして南に「栄光の門」が設けられる。それぞれの門には4本の塔が建てられる。計12本の尖塔は、それぞれ12使徒に捧げられる。またその内側にも塔が建てられ、計18本の塔から構成される 、というのが最終的な構想でした。しかしガウディが生存中に完成したのは「生誕の門」だけでした。

ゴシック様式を超えて─

さて、「高層建築」サグラダ・ファミリアの高さですが、現在完成している4本の塔は92m以上です。完成予想図に見える中央の最も高い塔は178mになる予定だそうです。完成すれば、世界最大の教会建築になることでしょう。もちろん、「高さ」とか「大きさ」だけではなく、教会建築の特異さからいっても、まちがいなくサグラダ・ファミリアは世界に類を見ない建築と言えるでしょう。

様式的には、高い塔の連なり、という点では一見ゴシック様式を連想させますが、ガウディは「伝統的なゴシック様式は、死んだ様式である。それは体のさまざまな部分をバランスよくつるすかわりに、骨格が支えなければならない肉の重みにつぶされて、あちこちに松葉杖が必要な人間にたとえることができるかもしれない」と言っているように、ゴシック様式に大胆に手を加えています。例えば、ゴシック様式で用いられる控え壁(主壁を支えて補強する壁)をなくしたり、らせん状のねじれ柱を採用したりしています。

これだけ巨大な建築計画でありながら、全体の設計図は、ガウディの弟子が1915年になって書き上げ、それが公開されたのは1917年のことでした。 実は、サグラダ・ファミリアの建設に時間がかかっていたのも、資金不足が原因だったのです。建築資金を得るため、ガウディ自身、施しを求めたこともあったと言います。加えて、1914年、第1次世界大戦が始まると、職人が不足し、工事の続行がさらに困難になってしまいました。このような状況のもと、サグラダ・ファミリア教会建設委員会は、すでに60歳を過ぎていたガウディの年齢も考慮し、仮に彼が死んでも建設が進められるように、完成模型の製作を依頼したのでした。スペイン内乱でこれらの模型はすべて破壊されてしまいましたが、ガウディの遺志を継いだ建築家たちは 1枚の全体像のスケッチや助手の残した資料などをもとに建築を続けました。

ガウディは、キリストの誕生と死を伝えるこの教会を聖書とみなし、建物自体を人々に「読んで」もらいたいと考えました。ガウディはすでに風変わりな建築で知られていましたが、サグラダ・ファミリアの建築は彼にとってこの上ない名誉だったのと同時に、宗教を通して自分自身と向き合うことを強いられ、苦悩することになります。彼にとってサグラダ・ファミリアは、ブルジョワのための教会であってはならず、貧しい人々のためのものでなければなりませんでした。彼は1894年には死に瀕する断食まで行っています。

ガウディの死

ガウディは、1925年10月以降、サグラダ・ファミリア教会内の仕事場に泊まるようになりました。そこで一日中建築工事に携わり、夕方5時半頃に仕事を終えると、近くの聖堂まで散歩し、そこで夜10時頃まで過ごした後で再びサグラダ・ファミリアまで戻ることを日課としていました。

1926年6月7日、ひとりのみすぼらしい格好をした老人が、路面電車の線路を渡ろうとして電車にはねられました。すぐに病院に運びこまれ、丸3日間持ちこたえたものの、6月10日夕方、ついに息を引き取りました。それがガウディの最期 でした。

ガウディがこの教会の建築に取りかかった時、彼はまだ31歳という若さでした。しかも、そのころ彼はまだ宗教的には無関心な人でした。しかし、家族の不幸が続いたり、すぐれた聖職者たちと出会ったことによって、しだいに信仰心にめざめていったものと考えられます。そして、晩年には、サグラダ・ファミリアの建築以外の世俗の出来事には全く関心を払わない、まるで苦行僧のような建築家となったのです。 彼のそんな思いは、建設に取り組む建築家たちに、現在もなお受け継がれていると言えるでしょう。

参考文献
『ガウディ』J.バセゴダ著、岡村多佳夫訳、1992、美術公論社
『ガウディ 建築家の見た夢』フィリップ・ティエボー著、千足伸行監修、遠藤ゆかり訳、2003、創元社

03/09/22


  

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