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 ヨーロッパ中世の図書館─パピルスから羊皮紙へ

1 羊皮紙の登場

4世紀のヨーロッパは、ゲルマン民族の大移動、ローマ帝国の衰亡、そしてキリスト教の公認と国教化と 、歴史の大きな転換期を迎えます。

この時代の図書館の歴史は、キリスト教の発展を抜きにしては語れません。キリスト教を公認(313年)したコンスタンティヌス帝がコンスタンティノープル(現イスタンブール)に開設した図書館は 、聖書、教義解釈書、礼拝用テキスト、祈祷書などのキリスト教関係の文献を中心に、5世紀には10万点を超す蔵書を誇っていたと言われます。

ところでこの頃、本の作り方が大きく変わります。従来のパピルスに変わり、「羊皮紙」が使われるようになったのです。羊皮紙“parchment”の語源は 、「ペルガモンの皮」を意味するギリシア語ですが、ペルガモンとは、小アジア(現在のトルコ)にあった羊皮紙発祥の地とされる都市です。羊皮紙はその名の通り羊、山羊 、子牛などの動物の皮を原料とし、長い時間と大変な手間をかけて作られました。表面に傷のない良質の皮び、毛を取り、ライムに長時間浸して柔らかくした後、木枠に張って 、三日月の形をした特殊なかんなで丁寧になめしていきます。羊皮紙で平均的な1冊の本を作るのに約15頭分の皮が必要だったそうで、かかるコストも膨大でした。しかし、羊皮紙はパピルスより丈夫で柔らかく、何よりも決定的な違いは、両面に文字を書くことができることでした。両面に文字が記された羊皮紙を重ね合わせて綴じると「冊子」になります。

こうして 、羊皮紙の登場により、持ち運びに不便で読むときも両手が必要な「巻物」形式ではなく、今日見られるような「本のカタチ」が初めて誕生したのです。冊子形式になったことで 、従来の巻物の何巻分ものテキストが1冊に収められるようになりました。また、図書館での保存もぐっと楽になりました。とは言っても、当時の図書館ではまだ棚や箱に平積みにされて保存されていたようですが…。

キリスト教信仰に欠かせないものの一つが「新約聖書」ですが 、2世紀頃のキリスト教擁護の文献に始まり、4世紀頃に現在の形にまとめられたものと推定されています。コンスタンティヌス帝は、330年頃、新しい帝国領内の主要都市の教会用に50部の聖書の写本を作らせたと言われています。カトリックの教義を確立に尽くした“教父”アウグスティヌスは 、5世紀前半、全22巻の『神の国(神国論)』を著していますが、この膨大な書物も、写本によって各地に伝えられ、キリスト教教義の伝播に貢献したに違いありません。

2 修道院図書館と写本づくり

中世ヨーロッパにおいて、図書館として重要な役割を果たしていたのが修道院です(映画「薔薇の名前」参照)。6世紀 、ベネディクトがイタリアのモンテ・カシノに修道院を設立しますが、そこに設けられた図書館は、まさに「知識の宝庫」、そして中世カトリック社会における学問の中心でした。書写されるのは圧倒的に宗教書が多く 、とくに新約聖書はもっとも頻繁に書写されたようです。

そしてそこでは、宗教書のみならず、ギリシア・ローマ時代の古典や文学書の書写も行われていたのです。カトリックの教義が絶対だった時代 、プラトンやアリストテレスといったラテン語による貴重な古典文献は修道院で守られ、のちにルネサンスを生み出す原動力の一つにもなっていきます。たとえば、今日知られているプラトンの写本は 、本人の死から1200年以上もたった9世紀にコンスタンティノープルで書き写されたものであるといいます。また、今私たちがカエサルの『ガリア戦記』の簡潔で力強い文体を楽しめるのも 、この時代の写字生たちの努力によるわけです。彼らがいなかったら、そうした古典の名著はとっくに失われていたことでしょう。

文献の収集と書写(写本づくり)は、修道士たちのもっとも大切な職務であると同時に 、豪華な装飾本を貴族たちに販売することで、修道院の貴重な収入源にもなっていました。多くの修道院には「写本室」が設けられ、修道士たちはそこで自らの修道院のために写本を作るだけでなく、各地の君主や教会に提供するための出版社のような役割をも果たしていました。大きな修道院では、羊皮紙の製造から装丁に至るまで 、本の全製造工程を行えるようになっていました。

本づくりには文字を正確に書き写すだけでなく、挿画を描いたり、装飾を施したりする才能も必要でした。また 、修道院は概して貧乏だったので、原典を買い集めることなど思いもよらないことであり、必要な本が自分の修道院にない場合は、他の修道院から借りて筆写する場合も多かったようです。中世版「図書館のネットワーク」ですね。

ここで写本の様子を見てみましょう。写本は、口述される文章を筆記する場合と、原本を見ながら書き写す場合がありました。作業用の道具としては 、インク壺と植物性のインク、羽ペン、ペン先を削るためのナイフ、木製定規、コンパス、羊皮紙など。当時の図像を見ると、写本の姿勢は 、初期にはそれらの道具を載せた小さなテーブルと原本を載せた書見台を前にして椅子に腰掛け、膝の上で筆写していたようです。しかし 、次第に書写台のような作業机が使われていきます。書写作業には、1冊の本に何人もの修道士が手分けして取りかかることもあったようです。とくに原本を他の修道院から借りているような場合には 、一刻も早く写本を作り上げる必要がありました。また、書き写し終わった文章は原文と照合するために再度全文を通して読まれ、間違いのないように綿密なチェックが行われました。

ほとんどの人が読み書きができなかった当時、こうした写字生は大変貴重な存在でした。7・8世紀のアイルランドでは 、写字生を殺害すると司教殺害と同等の重罪となったといいます。どんな立派な本を作っても、写字生たちの名前が残ることはまれでしたが、中には 、ちゃっかり自分の名前を記したり、書写する自分の姿を余白に書き残している人さえいます。その気持ち 、なんとなくわかりますね。

修道院図書館の平均的な蔵書数は200〜300冊、多くても1000冊程度と一般に貧弱でした。羊皮紙本はパピルス本10〜20巻分の内容を1冊に納めることができたので 、一概に比較はできませんが、それでも古代の図書館に比べれば規模は小さいと言わざるを得ません。また、古代図書館の、国家的権力に支えられた学問所という性格も消滅してしまいました。しかし 、修道院図書館はあくまでも世俗的権力から独立した存在として、古典を世俗権力から守り、後世に継承するという極めて大きな功績を果したと言えるでしょう。

3 大学の設立と図書館

12世紀になると修道院図書館はしだいに衰退し、代わって中世ヨーロッパには大学図書館 、貴族図書館などの新しいタイプの図書館が誕生します。

ヨーロッパの大学(ラテン語でuniversitas)は 、教会や修道院附属の研究機関として起こりました。たとえば、最古の大学の一つであるパリ大学は、ノートルダム大聖堂附属の神学校から12世紀に独立してできた大学でした。こうして各地に大学が成立すると 、それまで修道院が独占していた本に、新しい需要を生み出しました。修道院の外に写本工房が生まれ、写字生、装飾師、製本職人など、本を製造する過程に関わる様々な民間の専門家が現れました。

そして 、彼らはそれぞれに同業組合(ギルド)を作り、大きな勢力を持つようになっていきました。ヨーロッパの主な大学都市では 、増大する本の需要に応えるため、「ペシア」と呼ばれる方式が確立しました。大学が保証した原本(これも写本ですが)が書籍商に渡されると、彼らはその写本を「分冊(ペシア)」に分け 、学生や写字生に請け負わせて自宅で筆者させるという方式です。このやり方によって、わずかな費用で大量の部数の写本を作成することが可能となりました。

ルイ9世の宮廷司祭だったロベール・ド・ソルボンが、パリ大学の中に神学を教える学寮(カレッジ)を作ったのは1253年のことでした。彼の名を取ってソルボンヌ・カレッジと呼ばれたこのカレッジには 、彼自身の蔵書が寄贈された図書館が設立され、有力者による寄贈により、のちにその蔵書は1700冊を超えるまでになりました。当時のソルボンヌ・カレッジには、大図書室と小図書室があり 、大図書室には貴重な写本類が、この閲覧机の上に1冊ずつ鎖でつないで保管されていました。一方、小図書室の方には 、複本や価値の低い本が配架されていて、こちらは、館外への貸し出しも行われていました。ただし、本を借りるためには、利用者本人の所有する本を担保にするか、いくばくかの保証金を支払わなければなりませんでした。パリ大学にならって設立されたオクスフォード大学のカレッジ図書館も 、同様のシステムをとっていました。書見台に鎖で本をつなぐ方法は、もちろん高価な写本を盗難から防ぐという目的からですが、図書がだんだん増えていくにしたがって 、書見台の上に複数の本を縦置きで置くための書架が取り付けられるようになります。この書架がのちに書見台から切り離されて独立した書架となっていきます。本が完全に鎖から解き放たれるのは 、印刷術の発達に伴い、出版物が出現する16世紀以降のことでした。

都市と商業の発展によって市民階級が台頭すると 、彼らも新しい読者層になっていきました。彼らは、従来の宗教書だけではなく、胸躍る騎士道物語や歴史書、演劇台本など新しいジャンルの本を求めました。こうした市民階級のニーズに応えるため 、12世紀からは、ラテン語ではなく、自分たちの言葉で書かれた本が出回るようになります。その代表的存在が、ダンテがイタリア語(トスカナ方言)で著した『神曲』でした。

一方、王侯貴族や大領主たちは、豪華本を集めた個人図書館を競って設立し始めます。フランス王シャルル5世(在位1364〜80)は 、翻訳事業を推進し、973冊の蔵書を持つ学術図書館をルーブル宮に創設しました。これは現在のフランス国立図書館の前身となります。また、彼の弟で「ベリー侯の時祷書」で有名なベリー侯ジャンは 、贅を尽くした装丁の写本、とくに時祷書を集めていました。

●参考文献
フォルシュティウス、ヨースト著 藤野幸雄訳『図書館史要説』、日外アソシエーツ、1980
佐藤政孝『図書館発達史』、みずうみ書房、1986
プラセル著 木村恵一訳『「知の再発見」双書80 本の歴史』、創元社、1998
寺田光孝・藤野幸雄『図書館の歴史』、日外教養選書、1994
高宮利行・原田範行『図説 本と人の歴史事典』、柏書房、1997

00/10/31