やっぴらんど楽しい世界史テーマ史図書館の歴史

 古代の図書館─パピルス本の時代

1 メソポタミアの図書館

図書館の歴史は、文字の歴史と重なります。文字が発明されたのは、古代メソポタミアにおいてでした。粘土板に刻まれた楔形文字です。ちなみに、ラテン語の“liber”(本)は、もともとは「樹木の内皮」を表す言葉だったといいます。樹木の皮の内側も、粘土板や石、木板などと並んで文字を書きやすい素材だったのでしょう。

さて、メソポタミア一帯では、発掘調査により多くの粘土板(タブレット)が発見されていますが、それらは一つのところにかたまっている場合が多いようです。それは 、図書館の原型ともいえる建物、すなわち書類や手紙を保存するための書庫があったことを推測させます。

人類最古の図書館といわれているのが、19世紀末に発見された、メソポタミアのニップール(現在のヌファール)の神殿内に設けられていた図書館です。ただし、いつごろ誰が建てたものであるかははっきりしていません。

建造者がわかっている図書館で最古のものは、アッシリアの都ニネヴェに紀元前7世紀に建てられたアッシュルバニパル王の図書館です。その蔵書は、戦争についての記録、英雄たちの伝説、農業や建築の記録、政治に関する記録等、実に多岐にわたり、その数は2万点にものぼります。その中には、旧約聖書に出てくる大洪水(ノアの箱船)によく似た物語もありました(『ギルガメシュ叙事詩』)。現在、これらの図書館の蔵書は大英博物館に保存されています。これも、粘土板という火事にも水害にも強い材質のおかげでしょう。

2 エジプトの図書館

一方、エジプトではパピルスという葦の一種を原料とするパピルス紙に文字が記録されました(paperは、papyrusに由来します。ちなみに、ギリシア語で「本」を表す“biblion”は、パピルスを意味する“biblos”から来ています。現在欧米諸語で使われている「聖書“bible”」 、「図書館“bibliotheka”」などは皆これに由来しています)。パピルス紙は、ギリシア・ローマを通じてヨーロッパにも伝わり、10世紀頃まで図書の材料として使われていました。パピルスは手触りもごわごわしてかさばって折り畳みにくいし、しかも片面にしか文字を書くことができません。したがってこの頃の本はパピルスを何枚もつなげて棒に巻いた巻物の形で作られていました。長いものでは10メートルに達するものもあったようです。

そして何よりも、パピルス紙の弱点は湿気に弱いことでした。古代エジプトには 、パピルス本を収蔵した図書館がたくさんあったといわれていますが、ピラミッド内部に保管されていたもの以外ほとんど残っていないのはそのためです。古代エジプトの図書館は神殿に附属するものと、宮廷内に設けられた王宮図書館とがありました。神殿内の図書館は、宗教上の祭事や行事の記録、神々の伝説や伝記といった宗教に関わる記録が中心で、書写室では、書記によって写本や造本などの仕事が行われていました。また、王宮図書館には、政治、裁判、軍事に関わる公文書のほか、数学、科学、医学といった学術文献類も多数収蔵されていました。

3 ギリシアの図書館

ギリシア人は、フェニキア人が使っていた文字に改良を加えてギリシア文字を作り出し、これを用いてさまざまな学問体系や文学を記録しました。アテネ哲学を発展させたソクラテスやプラトンは、「読書」よりも「対話」による教育を重視しましたが、プラトンはその学園内に図書館を設けていたといわれています。「読書による学問」を推奨し、確立したのは、アリストテレスでした。彼は図書館を設け、たくさんの書物を収集し、保管していましたが、その多くは、のちにローマのスラによって略奪されます。

また、ギリシア人は演劇を好んだことでも知られています。アテネを初めとする各ポリスには、アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスの三大悲劇作家の作品を中心とした公共図書館がありました。一般市民がいつでも利用できる図書館としてはたぶんこれが史上初ではないでしょうか。

4 アレクサンドリア図書館

アレクサンドロス大王の帝国が滅んだ後、エジプトにはプトレマイオス朝が成立します。プトレマイオス1世は、首都アレクサンドリアを学術文化の中心とすべく、王立研究所(ムセイオン)を作り、多くのギリシア人学者を招くとともに、大図書館を併設する計画を立てました。次のプトレマイオス2世も、その財力に物言わせ、蔵書の充実に力を入れました。ギリシアの文献すべてを集めることさえ構想していました。ときには強引な方法をとることもありました。たとえば、アレキサンドリア港に停泊中の船を臨検し、書籍を積んでいればただちに没収して図書館に運ばせ、持ち主には原本ではなく写本を返却するといったような…。こうして、アレクサンドリア図書館には、たちまち70万巻を超える書物がそろえられたと言います。

これだけの図書ともなると、その分類だけでも大変です。アレクサンドリア図書館には、ピナケスと呼ばれる図書の分類目録がありました。作ったのはカリマコスという詩人・文献学者です。彼の目録法は、図書を詩人、法律家、哲学者、歴史家、雄弁家、その他に分類し、これをさらに細分化するとともに、それぞれの著作は著者のアルファベット順に並べるというものでした。彼の作成した目録は120巻から成っていましたが、現在は残念ながら失われています。

印刷技術がなかった時代、本はすべて写本によって作られていました。当時の「本」は、「読むもの」というよりも「書き写すもの」だったのです。アレクサンドリア図書館には、写本づくりや造本、販売を担当する多くの職員が雇われていました。彼らは、図書館に併設されていた学校で書写生の訓練を受け、図書館職員として働いていたのです。

強大な権力によって集められたアレクサンドリア図書館の膨大な蔵書は、もっぱら学術研究用として用いられ、一般市民に開放されることはありませんでした。

5 ペルガモン図書館

アレクサンドリア図書館と並び称されたのが、小アジアのペルガモン図書館です。創設したのは、ペルガモン王国(前241〜前133)アッタロス朝第2代国王エウメネス2世及び第3代アッタロス2世です。彼らは、アレクサンドリア図書館に劣らない蔵書を集めようと画策し、最盛期には蔵書20万巻を所蔵していました。ペルガモン図書館の特徴は、パピルス紙による図書から、次第に羊皮紙図書が増えていったことにあります。一説によると、プトレマイオスとエウメネスの両王が文献の収集を競い合った結果、エジプトからパピルス紙の輸出を禁じられたため、代わって羊皮紙が使われるようになったといいます。

6 ローマの図書館

アレクサンドリア、ペルガモンという古代地中海世界における2大図書館は、前2世紀から前1世紀にかけていずれもローマの支配下に入ります。古代ローマの図書館の起源は、共和制時代にローマが盛んに行った対外遠征にあります。つまり、遠征において戦利品として獲得した書籍を、パウルス、スラ、ルークルスといった将軍たちが私設文庫の形で集めたものです。その蔵書のほとんどはギリシア文学から成っていました。スラの文庫は市民にも公開されていましたが、このような初期の私設文庫は蔵書の規模も小さく、図書館と呼ぶにはあまりも貧弱なものでした。

カエサルはアレクサンドリア図書館やペルガモン図書館のような大図書館を作る構想を持っていたといわれていますが、実現を見ないうちに暗殺されてしまいます。カエサルの遺志を継いだのは部下のポリオ将軍でした。彼は前39年に「自由神殿(アトリウム・リベルタテイス)」と呼ばれる図書館を設立しました。これが公開図書館としてはもっとも古いものといえるでしょう。この図書館にはかつてスラがギリシアから持ち帰ったアリストテレス文庫の蔵書が加えられていました。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、ローマに多くの文化施設を建設しますが、オクタヴィア図書館もその一つです。この図書館にもギリシア語・ラテン語の図書が多数集められ、一般市民への公開も行われていました。その後のローマ歴代皇帝も多くの図書館を建設していますが、なかでも五賢帝のひとりトラヤヌス帝が2世紀の初めに建設したウルピア図書館は、最大級の図書館でした。ローマ帝国の最盛期には、市内に28の図書館があったといわれます。

ローマの公共図書館は、そのすべてが市民に公開され、文字を読める人であれば誰でも利用できました。その意味で、古代オリエントの時代の図書館から一歩進んだものといえるでしょう。また、図書館の建築・整備が進むとともに図書館員の地位もしだいに高くなっていきました。図書館長や司書には専門職としての高い地位が与えられました。図書館には司書のほかに、書写を行う書写生や外国語の文献を翻訳する翻訳員などが置かれていました。  

古代の図書館は総じて、神殿に併設されていました。それらの神殿に祀られていた神々はむろん、キリスト教徒にしてみれば「異教」の神でした。紀元前後、当時のローマ帝国領内で産声をあげたキリスト教は、長い弾圧の時代を経てやがてヨーロッパを席巻していきます。そしてそれとともにこれら古代の図書館も姿を消すことになります。

●参考文献
フォルシュティウス、ヨースト著 藤野幸雄訳『図書館史要説』、日外アソシエーツ、1980
佐藤政孝『図書館発達史』、みずうみ書房、1986
プラセル著 木村恵一訳『「知の再発見」双書80 本の歴史』、創元社、1998

00/10/31