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インディアン─迫害の歴史

バクシーシ173号コロンブスが新大陸を「発見」した当時、現在のアメリカ合衆国部分には200万人以上のインディアンが存在したと考えられている。

かれらの生活様式・住居・政治組織・経済機構・言葉は部族によって多様であるが、宗教や自然への対応という点では一定の共通性をもっていた。

宗教が深く根を降ろした生活を送るインディアンにとって、人間は自然の一部にほかならなかった。彼らは自然の中で自然と一体となって生活していたのである。

しかし、白人の到来によってインディアン独自の生活には終止符がうたれた。インディアンは、土地も生命も文化も奪われていくのである。

たしかに、16世紀前半から始まる白人との接触によってインディアンが得た銃・鉄製品・衣類・馬などは、かれらの生活をより豊かにしたかもしれない。しかし、同時に白人が持ち込んだ伝染病や酒はインディアンの生活に大きな打撃を与えたこともまた事実である。

そして、白人はしだいにかれらの土地を奪い、生活様式さえも強制的に変えようとしていく。

1776年の合衆国独立宣言には、「すべての人は平等につくられ……」とうたわれているが、インディアンがこの「すべての人」に含まれないのは明らかだった。

合衆国は、領土の拡張と白人定住地の拡大を国家的使命としたが、その使命はインディアンの征服と土地奪取なしには達成されえなかった。

最初、インディアン部族を主権国家とみなして条約を結んで土地を購入するという政策をとったのもつかの間、1803年にジェファーソン大統領が「われわれが手を振り降ろしさえすれば粉砕されてしまうことをインディアンは理解すべきだ」と述べたように、合衆国の国力が強まるにつれ、「力」による抑圧が公然と行われていった。

1830年、ジャクソン大統領は強制移住法を制定し、5万人のインディアンをミシシッピ川以西のインディアン=テリトリーへ移住させた。頑として移住を拒否し続けたチェロキー族も、ついに1838年に連邦軍によってジョージアから追いたてられた。1万2000人のチェロキー族一行は、冬空の下、5ヵ月をかけてオクラホマへの長い行程を強いられた。寒さ、飢え、病、暴行によって8000人もの命が失われたという「涙の旅路」である。

強制移住の結果、ミシシッピ以東の土地はほぼ完全に白人に開放された。そして、連邦政府は移住させたインディアンに対しては「文明化」を推進していく。

「年々増加していくわが国の自由な発展のために、神から与えられたこの大陸にわれわれが拡大するという明白な運命の偉大さ…」

これは、1845年にあるジャーナリストが領土拡大と定住地拡大を合衆国の運命として正当化した言葉である。

19世紀半ばの時点で、ミシシッピ以西には、強制移住させられた部族を別にすると、30万人近いインディアンが存在した。そのなかには、スー・シャイアン、コマンチ、ナヴァホ、アパッチなどの狩猟生活をおくる部族が含まれていた。

19世紀後半、とくに1860年代から80年代にかけての西部は、こうしたインディアンと白人との激烈な戦いの場となった。

今世紀に入り、それらの戦いは西部劇の題材としてたびたび取り上げられることになる。ただしハリウッドが創り出した「正義の騎兵隊vs野蛮で残忍なインディアン」という図式が、「明白な運命」的な発想に固執した白人の身勝手な虚構であることはいうまでもない。

インディアンにとっては、侵略者から自分たちの生活を死守するための戦いだったのであり、実際に野蛮で残虐だったのは白人の側だったのである。
インディアンは、白人に立ち向かった。

1866年のフェッターマン大尉以下81名のせん滅や、1876年のスー・シャイアン連合軍によるカスター将軍大隊のせん滅など、インディアン側は輝かしい戦果をいくつも挙げ、スー族のシッティング・ブルやアパッチ族のジェロニモの名は白人を震え上がらせた。

しかし、白人側の軍事的・物量的優位はやはり動かしがたかった。ジェロニモは降伏し、シッティング・ブルも保留地に閉じ込められた末に、1890年12月15日、ついに逮捕された。

「わたしは行かない。さあ、みんな立ち上がれ。決起するのだ。」

こう叫んだ瞬間にブルは射殺された。

この2週間後、第七騎兵隊は無抵抗のスー族200名を虐殺した。この事件によって、インディアンの武力抵抗は完全に弾圧された。

同じ1890年の合衆国国勢調査は、フロンティアの消滅を高らかにうたった─。
合衆国の発展と繁栄は、まさにインディアンの屍の上に築かれたものだったが、白人たちは辛うじて生き延びたインディアンに対しては、生存の条件としてインディアンであることをやめるよう要求した。

インディアンの文化的抹殺こそが、文明の勝利だと確信されていたのである。 すべてのインディアンが合衆国市民として認められたのは、ようやく1924年のことだった。 19世紀末に25万人にすぎなかったインディアン人口は、現在142万人(1980年)にまで回復している。

しかし、社会的・経済的裏づけのない政治的権利は、インディアンにとっては、絵に描いた餅にすぎない。収入・学歴・生活環境なとさまざまな指標では、インディアンは民族集団の中でも最下位に位置している。

インディアンへの人種的差別も根強いものがあり、依然として合衆国の中でインディアンがインディアンとして生きていくことは容易ではないのである。

参考:鵜月裕典「アメリカ・インディアン史」─歴史読本ワールド『西部英雄伝』