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 キリストの墓

Map001.jpg (3321 バイト)十来塚(21094 バイト)青森県三戸郡新郷村戸来(へらい)。ここに「キリストの墓」がある。

十和田湖の東に位置する新郷村に入ると、まず目に入るのが、「キリストの村へようこそ」という看板。村の中心部から少し離れた沢口地区、道路から坂道を登っていくと、雑木林に囲まれた小高い丘に2つの白い十字架が立っている。向かって右側、「十来塚(とうらいづか)」がキリストの墓、左の「十代墓(じゅうだいぼ)」がキリストの弟イスキリの墓であるという。

十代墓 (21064 バイト)昭和10年、新郷村に茨城県磯原町(現・北茨城市市)の皇祖皇太神宮の管長と名乗る人物が現れ、とんでもないことを口走った。村で一、二を争う旧家・沢口家の家で二つの土まんじゅうを見つけると、「これこそキリストの墓だ」と叫んだのである。

その男こそ、『竹内文書』という謎の古文書が伝わる竹内家の当主、竹内巨麿(たけうちきょまろ)だった。彼は、『竹内文書』に記された「キリストは日本で死んだ」という記述に基づき、キリストの墓を探し回っていたのである。

その古文書によれば、ユダヤに生まれたイエス=キリストは、21歳の時に日本に来て、12年間にわたって今の富山県で言葉や文字、神学を習い、さまざまな修行を重ねたという。聖書では21歳から12年間のイエスの記述はまったくないので、このあたりは符合する。33歳の時にユダヤの地に帰ったイエスは、聖書に記述されているように、数々の教えを人々に説き始める。しかし、彼の言動は、ユダヤ教パリサイ派の反感を買い、ローマに反逆を企てる者として磔の刑に処せられる。

ところが、古文書によれば、磔に処せられたのは実はイエスではなく、彼の弟イスキリだったのだ! イエス自身は、再び「神の国」をめざす。中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由し、4年後、船で八戸に上陸、戸来村にやってくる。イエスは「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村沢口の丘の上に居を定めた。そして、ミユ子という女性を娶り、三女をもうける。とくに布教に努めることはなかったが、自ら畑を耕し、作物を作っては貧しい人々に分けてやったという。白髪の禿頭、鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を見て、村人は「天狗様」として畏敬したという。

こうして彼は106歳の天寿を全うし、その遺体は風葬にされ、骨は4年後に住んでいた家の跡に埋められた。それが「十来塚」であり、そのとき、彼が携えていた弟イスキリの耳と母マリアの頭髪も葬られた。それが「十代塚」である。

これが「キリストの墓」の証拠だ!

1 沢口家の家紋
墓のある丘はもともと沢口家のもので、今も沢口さんが墓のすぐ近くに住んでいる。沢口家は、キリストの子孫といわれ、その家紋は、「ダビデの星」と同じである。

2 言葉
「戸来(へらい)」という地名は、「ヘブライ」に由来するという。
また、このあたりでは、父親のことを「アダ」「アヤ」「ダダ」、母親のことを「アバ」「アパ」などと呼ぶ。これはそれぞれ、「アダム」と「イブ」のなまったものであるという。さらに、男性の作業着をハラデ(腹当て)というが、これもヘブライ語の「ハラート」と共通するという。

赤ちゃん(7317 バイト)3 十字架
生後10ヶ月の赤ちゃんが初めて外へ出るとき、額に墨で十字を書いて魔除けを願う。また、足がしびれたとき、人差し指につばをつけて額に十字を3回書くと直るという習慣がある。

4 ナニャドヤラ
なんといっても不思議なのは、村(というよりも青森県南と岩手県北)に伝わる盆踊り歌「ナニャドヤラ」である。その歌詞は、「ナニャードヤレー ナニャドナサレデア ナニャドヤラヨー」という意味不明のものだが、これをヘブライ語として訳すと、「聖前に主を讃えよ、聖前に主は逆賊を掃討したまえり 聖前に主を讃えよ」。つまり、「神のもとに、自分の軍は敵をやっつけたのだ。自分たちの大将を誉め称えよう」という意味になるのだという。

伝承館 (19388 バイト)新郷村では、「キリストの墓」を観光スポットとして一生懸命アピールしている。「キリストの里伝承館」を建ててキリスト伝説を紹介したり、昭和39年から毎年5月にキリスト祭を開いている。

キリスト祭といっても、神父や牧師は来ない。十字架を見上げる広場で、神事に続いて獅子舞や神楽が奉納され、十字架の周りでは婦人会の人たちが「ナニャドヤラ」を踊る。伝承館にある村長の言葉には、「これは宗教団体のお祭りではなく、今まで存続してきた村民の心(偉い人を祀る心)である」といったことが記されているが、この言葉こそ、「キリストの墓」に関するすべてを表しているのではないだろうか。

それにしても、イエスが「受難」を免れたとすれば、当然そのあとの「復活」もなかったわけである。「復活」があったからこそ、弟子たちがイエスを「神の子」と信じて、彼の教えを広め、のちのキリスト教が成立することになるわけだから、素直にこの説を受け容れるわけにはいかない。にしても、何とスケールの大きなミステリーでしょうか!

さすがにわが青森県です。