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ルムンバの叫び   Lumumba

2000年/フランス・ベルギー・ドイツ・ハイチ/115分
【監督】 ラウル・ペック
【出演】 エリック・エブアニー/パトリス・ルムンバ   アレックス・デスカス/ジョゼフ・モブツ   マカ・コット/ジョゼフ・カサヴブ

Q:いつも未来を見ている国はどこでしょうか。 ────A:コンゴ

という「なぞなぞ国名シリーズ」でよく知られる(?)コンゴを舞台とした映画です。

コンゴを独立国へと導いた初代首相パトリス・ルムンバの人生を描いています。ハイチのラウル・ペック監督は、1991年にもルムンバについてのドキュメンタリーを撮っていますが、ルムンバに対する思い入れはよっぽどのものがあるらしい。 何でもペック監督の父親がルムンバに招かれてコンゴに暮らしていたため、彼自身も少年時代をコンゴで過ごしたのだそうです。 彼の祖国ハイチもまた長年の独裁政治や政情不安定な要素など、コンゴと共通点があるので、その辺の思いもあるのでしょうか。

ところで、「コンゴ」と名の付く国が現在2つあることはご存じでしょうか? こっちはなぞなぞではなく、マジメな質問です。

正解は、「コンゴ共和国」と「コンゴ民主共和国」です。

左の地図は、アフリカ大陸のほぼ中央部、白い部分がコンゴ民主共和国、1997年まで「ザイール」と呼ばれていた国です。その西隣に位置するのがコンゴ共和国です。両者を区別するため、日本では前者を「コンゴ(旧ザイール)」などと表記しています。ただ、本来の「コンゴ人」の土地は、実はこれだけではなく、この2国にアンゴラ、ガボンの2国を加えた計4ヶ国からなるのです。というのも、西欧諸国の植民地政策により、旧宗主国のベルギー、フランス、ポルトガルが定めた国境線が元になっているからです。

映画の背景となっているのがコンゴ独立(1960年6月)とそれに続くコンゴ動乱(1960年7月〜65年)です。その辺の動きを中心に、コンゴ現代史を概観してみましょう。

コンゴは、19世紀末にベルギーの植民地になりました。なぜベルギー?と聞かれても困りますが、いわゆる「帝国主義時代」に西欧列強がアフリカ分割に躍起になった時、ベルギーにはレオポルド2世という国王がいてその分割に加わり、本国の70倍もの面積を持つコンゴ一帯を私有したというわけです。もちろん、産業革命によっていち早く工業国となり、莫大な資本を国内に蓄えていたことがその背景にありました。

コンゴを手に入れたレオポルド2世は、目のつけどころがよかったと言わざるを得ません。なぜなら、そこは世界有数の地下資源の宝庫だったからです。「カッパーベルト(copper belt)」という名の通り、銅の埋蔵量は無尽蔵であり、航空機、ロケットなどの生産に欠かせないコバルトはかつて世界の生産量の4分の3を占めていました。そのほか、ウラン、亜鉛、鉄、金といった資源も豊富です。こうした地下資源は、ベルギーに莫大な利益をもたらすことになります。コンゴ独立の際に、この地下資源の存在がコンゴ自身を苦しめることになるのですが…。

さて、第二次世界大戦後、アフリカ諸国は次々と植民地からの独立を達成していきます。特に、1960年は「アフリカの年」と呼ばれるほど多くの独立国が誕生した年でした。コンゴも、同年6月30日に独立を達成しています。その立役者となったのがパトリス・ルムンバ(1925−61)でした。

彼は独立直前の総選挙で過半数を獲得し、ルムンバは首相に選出されます(大統領はカザヴブ)。

ところが、独立から2週間もたたないうちにカタンガ州がコンゴ共和国からの独立を宣言します。カタンガ州はダイヤモンド、銅、コバルト、ウランなどの鉱物資源が特に豊富な地帯だったため、この地を手放したくないベルギー政府や鉱山会社ユニオン・ミニエール社などの財政的・軍事的支援を受けてルムンバに反旗を翻したのです。ルムンバは国連軍の力を借りてカタンガ州の反乱を鎮圧しようとしますが、左派とみなされたルムンバに警戒を強めた米国の画策もあって国連軍はルムンバの要請を拒否します。9月14日、国軍のモブツ大佐はベルギー軍の支援のもとにルムンバに対するクーデタを敢行、彼を逮捕・監禁したのち、翌1961年1月、彼を暗殺します。ルムンバは文字通り、闇に葬られてしまったのです。

その後カタンガ州の反乱は、ようやく動き出した国連軍によって1963年1月に鎮圧され、首謀者のチョンベはスペインに亡命します。モブツは1965年再度クーデタを起こして大統領に就任し、以後30年間にわたる独裁政治を始めます。

なお、1971年には、国名を「ザイール」(「すべての川を飲み込む川」の意)と改めています。また、都市名もベルギー領時代の名称から変更されました(首都:旧レオポルドビル→キンシャサ、スタンリービル→キサンガニなど。ちなみに、レオポルドはベルギー国王の名前、スタンリーは19世紀後半にコンゴを探検したイギリスの探検家の名前ですが、彼はベルギー国王の援助を受けていました)。

モブツは、東西冷戦構造を利用し、アフリカにおける反共の砦として米国をはじめとする西側諸国から軍事的、財政的支援を取りつけることに成功します。カタンガ州の鉱物資源による利益は国民のためではなく、モブツ個人の蓄財に向けられました。国民を窮乏化させておきながら、その支援のために送られた各国からの援助金さえ着服します。モブツが こうして蓄えた金額は6000億円にものぼると言われています。国家はモブツによって完全に私物化されていました。

モブツ政権打倒の動きは、隣国ルワンダの内戦を契機に活発化します。ルワンダでは、かねてから先住民族であるフツ人と北方から侵入してきたツチ人の争いが絶えず、1996年には大規模な紛争が発生します。ザイール領内のツチ系最大勢力バニィヤムレンゲ人もこれに応じて武装蜂起し、これに乗じる形で、左派のローラン・カビラが反政府勢力を結集して「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合」(ADFL)を結成、ツチ人勢力とともにルワンダやウガンダの支援を受けながら首都キンシャサに向けて進軍しました。その頃、モブツ大統領はガンの治療のため南仏で静養中でした。

1997年5月、カビラは首都を制圧、大統領に就任するとともに、国名を「コンゴ民主共和国」と改称します。しかしカビラもまたモブツと同じように鉱物資源の利益で私腹を肥やし、また、民族紛争を利用して権力の座に就いた独裁者に過ぎませんでした。カビラ政権に対してもすぐに反政府勢力の武装蜂起が起こり、周辺諸国を巻き込んだ内戦が再び激化します。99年8月停戦合意が成立していますが、その後もしばしば戦闘が起こっています。

2001年1月、カビラ大統領が殺害され、息子のジョゼフ・カビラ将軍が大統領に就任、新大統領は民主化を進め、和平への道筋も示されました。2003年には暫定政権が樹立され、2年間のうちに大統領選挙と総選挙が実施されることになっています。

ルムンバの叫び1957年、ベルギー領コンゴ。郵便局員からビール会社の営業マンになったパトリス・ルムンバ(エリック・エブアニー)は、持ち前の弁舌の巧みさで人々の心をつかみ、いつしか独立運動の闘士の一人となっていった。公安軍書記で記者志望のジョゼフ・モブツ(アレックス・デスカス)もルムンバに惹かれ、独立運動に加わるようになる。 ルムンバは公安軍によって逮捕、投獄されるが、その間にも独立運動は進展し、ベルギー政府も今後の独立を承認せざるを得なくなる。釈放されたルムンバは、ブリュッセルで開かれた独立に関する円卓会議に出席する。

1960年、ルムンバは首相となり、カサヴブ大統領とともに政権を担当することになるが、ベルギー人の公安軍将軍エミール・ヤンセン(ルディ・デュルハム)が新政権に対して公然と反抗、また、もともとルムンバとは意見が合わなかったカタンガ州の長官モイゼ・チョンベ(パスカル・N・ゾンジ)が反乱を起こすなど、その前途は多難を極めた。コンゴは内乱状態となり、これに乗じて、旧宗主国ベルギーや米国が暗躍。盟友モブツ将軍との関係にも亀裂が入り、彼のクーデタによってルムンバは逮捕されてしまう…。

同じように民族の独立を描いた映画「ガンジー」と比較すると、置かれた状況の違いはあるものの、ガンジーとルムンバの二人には共通する部分も多いと思いました。むしろ独立後の方が国を軌道に乗せるまで困難を極めるといったあたりは状況として大変よく似ています。これは偶然でしょうが、にっちもさっちもいかなくなってしまった状況で、ガンジーもルムンバも、落胆を込めて「…何もできない」というセリフを吐いてしまうシーンが出てきます。独立後のヒンズー・イスラム両教徒のいがみ合いが続いたインド、民族の違いから来る抗争や権力者の覇権争いが続いたコンゴ。しかも基本的にその争いはどちらも現在まで継続しています。

ルムンバのセリフの中に、「非暴力で…」というのが1カ所だけ出てくるものの、彼はガンジーのようには徹底した非暴力・不服従を貫いたわけではありません。米国に対抗するためソ連の支援を受けようとするなど、どちらかというとルムンバは「策士」だったように思います。彼には「パン・アフリカ」という遠大な理想も持っていたようですが、映画の最後に彼自身が言っているように、確かに生まれてくる時代が少し早かったのかもしれません。今もルムンバの崇拝者が世界中にいると言われていますが、この映画に出てくる彼の言葉を聞くと、さもありなんという感じがします。ベルギー人に対して、あるいは軍人に対して、彼は常に毅然としています。それができるのは、彼自身に強い信念があるからにほかなりません。このあたりもガンジーと似ているなと思いました。

それにしても、「邪魔者は消せ」という論理にはほとほと嫌気がさしますな。死んでしまったルムンバの声で「子どもたちには話すな」というセリフがありますが、どんなにか無念だったことか。

なお、ルムンバ暗殺の陰には、旧宗主国ベルギーの思惑が強くからんでいました。2002年、ベルギー政府は40年前のルムンバ殺害について軍の関与を認め、公式に謝罪しています。今さらという感じがしないでもありませんが、逆に、40年たってもきちんと謝罪すべきところは謝罪するという潔さには一応敬服の念を示しておきます。