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マイケル・コリンズ  MICHAEL COLLINS

1996年/米/133分
【監督】 ニール・ジョーダン
【出演】 リーアム・ニーソン/マイケル・コリンズ  ジュリア・ロバーツ/キティ・カーナン
      アイダン・クイン/ハリー・ボーランド  ステファン・レア/ネッド・ブロイ
      アラン・リックマン/イーモン・デ・ヴァレラ

監督のニール・ジョーダン、主演のリーアム・ニーソンともに、アイルランド出身。この映画をみるときには、現在も生々しく展開する、アイルランドというよりは北アイルランドの歴史を知っておく必要があります。そして、この映画を見終わったとき、マイケル ・コリンズという男の人生を通して、あまり馴染みのないアイルランドの歴史がくっきりと浮かび上がってくるはずです。

アイルランド映画の舞台となるアイルランドは、現在北と南に分断されています。「南」に当たるのはアイルランド共和国。人口は約350万人。ケルト系住民がほとんどで、カトリックが95%を占めます。一方、島全体の6分の1の面積を占める北アイルランドは、英国領。こちらは宗教はカトリックは3分の1に過ぎず、残りはプロテスタントです。つまり、アイルランドを分断させている原因は「宗教」なのです。我々からすれば、どっちも同じキリスト教じゃないか、と思ってしまいがちなのですが、彼らにとってみれば、カトリックかプロテスタントかという違いは、キリスト教徒かイスラム教徒かという違いよりももっと大きな意味があるようです。

世界史の教科書には「マイケル ・コリンズ」の名前は一切出てきません。むしろ彼のライバルであり、この映画では敵役みたいな形で登場するデ・ヴァレラのほうが“重要”とされています。。彼はアイルランド共和国の首相、のちには大統領を務め、1975年まで生きていました。そのヴァレラを演じているのは、例の「ダイ・ハード」の知的な悪役で一躍有名になったアラン ・リックマンです。

さて、北アイルランドといえば、IRA(Irish Republican Army=アイルランド共和国軍)の名が思い浮かびます。IRAとは、アイルランドへの統合をめざして、反英武力闘争を続けるカトリック系過激派のことです。IRAは本来、1920年代の独立運動で活躍した義勇軍のことですが、1970年に暫定派が対英武力抗争をを主張して独立しました。これが、現在テロ組織として知られているIRAで、アイルランドでも非合法とされています。そしてその政治組織ともいえるのがシン ・フェイン党なのです。「シン・フェイン」とは、「われら自身」という意味のアイルランド語です。

IRAは、これまで何度となく過激なテロ活動を行ってきました。たとえば、1979年8月27日のエリザベス女王の夫君エジンバラ公の伯父、マウントバッテン伯の爆殺事件。同伯爵ら7人を乗せたヨットをリモコン式の爆弾によって爆発させたのです。また、1991年2月7日、ロンドンのダウニング街10番地にある首相官邸に、3発のロケット弾を撃ち込んだのもIRAでした。このときは、幸いなことにメージャー首相ら閣僚は全員無事でした。

こうした卑劣なテロ活動を展開してきたIRAも、1994年になって、ようやく英国との和平交渉のためいったん停戦に合意します。しかし、当時のメージャー首相はIRAの武装解除を交渉の前提条件にすべきだと主張したため、IRAはこれに反発し、96年に再びテロを復活させました。現在のブレア労働党政権発足直後の97年6月、「和平交渉と並行して武装解除を進める」という英・アイルランド両政府の共同提案があり、再停戦が実現しました。これを受けて、98年4月についに和平合意が成立しました。その内容は、(1)カトリック・プロテスタント両教徒の代表で北アイルランドの自治を担う議会を設立すること、(2)この議会と英国、アイルランド政府などが協力し、両教徒が共生できる地域の将来を築いていく、というものでした。

ところが、98年8月15日、北アイルランド西部の町オマで、たいへんな惨事が起きてしまいました。町の中心部にあるショッピングセンターで爆発が起こり、28人が死亡、200人以上が重軽傷を負ったのです。2日後、IRAから分かれた急進派「真のIRA(RIRA)」が犯行声明を出しました。RIRAは、かねてから和平合意の動きに反発し、テロ続行の姿勢を崩していなかった過激組織でした。オマの惨劇は、30年にわたる北アイルランド紛争史上、最大の犠牲者を出す事件となりました。

RIRAは、犯行声明の中で、市民に多数の犠牲者を出したことを謝罪し、停戦を表明しました。また、同じくIRAから分派した最過激派組織であるアイルランド国民解放軍(INLA)も「完全な停戦を実施する」との声明を出しました。しかし、北アイルランド紛争ではこれまで、武装組織の主流派が和平に傾くと、一部の強硬派が新たな組織を作って武装行動を続けるというパターンが繰り返されてきました。新たなテロが今後も続く可能性が完全に消えたわけではないようです。

なお、こうした最近のアイルランドの動きについては、ロンドン憶良さんのサイトもご覧ください。

とりあえず、アイルランドの歴史を大雑把に年表にまとめてみましょう。
前5世紀頃 ケルト系諸民族が鉄器をもってアイルランドに侵入
 432年 聖パトリックがカトリックを伝道
1155年 ローマ教皇がイングランド国王ヘンリ2世にアイルランド領有の教書を与える。 以後急速にイングランドによるアイルランドの植民地化が進む。
1649年 イングランドのクロムウェルによるアイルランド征服。彼は征服した土地を貴族に分け与えたので、これ以降アイルランド人はイングランド人不在地主の小作人となっていく。
1798年 フランス革命に刺激を受けたウルフ・トーンを中心としたイングランドに対する反乱。イングランドはこれを厳しく弾圧。
1801年 英国、アイルランド議会の併合を決定 国名を“United Kingdom of Great Britain and Ireland”とする。
1829年 英国でカトリック教徒解放法成立。これにより、カトリック教徒の公職就任が可能となるが、それはアイルランドをなだめる目的もあった。
1845〜49年 ジャガイモ飢饉。アイルランドは、英国に対する穀物の供給地とされており、アイルランド人はジャガイモを主食としていた。ところが、そのジャガイモの不作が大飢饉を引き起こし、100万人が死に、100万人が海外移住を余儀なくされたといわれている。海外移住者の多くはアメリカ合衆国へと向かったが、あのケネディ大統領の祖父が移住したのもこの頃である。
1870年 英国、アイルランド土地法制定。アイルランド人小作人の適正な地代等を認める。この後英国は、アイルランド自治法案を3度にわたり議会に諮るがいずれも不成立。
1905年 シン・フェイン党の設立。即時独立を主張し、急進的な反英路線をとる。
1914年 英国、アイルランド自治法成立。しかし、第一次世界大戦勃起発のため、実施は延期。
1916年 イースター蜂起。アイルランド自治法の実施に反対するシン・フェイン党を中心としたアイルランドの急進派がイースターの4月24日にダブリンで武装蜂起。
1919年 前年の総選挙で圧勝したシン・フェイン党が独立を宣言。首相デ・ヴァレラ。
1922年 英国、アイルランド自由国を自治領として承認。
1937年 エール共和国の成立。新憲法を定め、完全独立国家を宣言する。
1949年 アイルランド共和国の樹立。イギリス連邦からも脱退し、完全独立を達成。

1916年、ダブリン。アイルランド独立を目ざすイースター蜂起は失敗に終わり、指導者たちは処刑された。処刑を免れたデ ・ヴァレラ、マイケル・コリンズらも投獄された。

1918年5月、出獄したコリンズはゲリラ戦法を用いた独立への戦いを始める。そんな彼に近づいてきたのが、英国の警官ネッド ・ブロイだった。コリンズの演説に妙に説得力のあるものを感じたというブロイ警部は、独立運動の指導者に対する一斉摘発の情報をコリンズに流すが、ヴァレラはそれを無視し、逮捕される。コリンズはブロイの手引きで警察の資料庫に入り込み、英国側の“Gメン”たちの情報を手に入れ彼らの抹殺に取りかかる。

そのころ脱獄に成功したデ・ヴァレラは、アイルランド共和国大統領として渡米し、米国に支援を求めようとする。コリンズはいまアイルランドを離れることに反対するが、ヴァレラはコリンズの親友ハリーを連れて旅立つ。

“Gメン”たちを殺された英国は新しい警備隊をアイルランドに派遣する。コリンズはまたもや次々と“死の配達人”たちを送り込み、彼らを暗殺していく。英国は報復としてフットボール場に戦車隊を突入させ、無差別に撃ちまくる。

しかし、米国から帰ってきたヴァレラは、コリンズのゲリラ戦法を好まなかった。彼は正規の軍隊による英国との戦争を主張する。戦いは劣勢だったが、英国は休戦を求めてきて条約が締結されることになった。ヴァレラらは、条約締結の全権をコリンズに託す。条約の内容は、アイルランドを自由国として政府をもつことを認められたが、英国に忠誠を誓うという不十分なものだった。コリンズはこの条約を今後の足がかりにすぎないと考えていた。ところが、アイルランド議会では条約締結に反対する声が渦巻いた。コリンズは「条約を拒めばまた戦争だ。自由と平和の代償としての汚名ならば喜んでかぶる」と訴え、7票差で条約の承認が決定した。

1922年1月16日、条約の賛否を問う国民投票を前に、英国からアイルランド自由国軍へダブリン城が移管された。7月7日、国民投票により条約は承認されたが、デ ・ヴァレラたちはこれを拒否し、あくまでも完全独立と共和国の達成を説いて、国民に内戦を呼びかける。

ついに内戦が始まった。コリンズら自由国軍には英国軍が加わった。コリンズは渡米以来、ヴァレラの右腕となり、今や敵に回った親友ハリーに和解を求めるが、ハリーは応じず、戦闘のさなか、撃たれて殺される。

内戦を終結させるためのトップ会談がコリンズの故郷ウェストコークで開かれることになり、コリンズは暗殺の危険を省みず久しぶりの故郷に戻ってくる。しかし、会談の場所に向かう途中には、条約反対派が潜んでいた。狙撃され倒れるコリンズ。享年31歳。ダブリンで行われた葬儀には50万人が参列し、早すぎる彼の死を悼んだ。

コリンズの気持ちもわかるし、デ・ヴァレラの考えも理解できる。700年にわたる搾取からの独立を目指す熱い思いに違いはない。しかし、現実には一方は凶弾に倒れ、一方は独立を勝ち取り、国家の頂点に昇り詰めた。ただ、私たちの心を強く引いて放さないのはやはり志半ばで先に死んだ方、ということか。