長田塾裁判の真実



   
       ひみつの部屋 にきてね! 一番最後にあります。↓



私は 長田寮の元寮生で、あの長田塾裁判のD君とは同じ訓練を受けた仲間です。

私の尊敬する長田百合子先生に対してのバッシングに完全に頭にきたので、ここであの時にあった本当のことを話します。

私は長田塾の裁判の真実を、事細かに知っています。あの時実際に寮にいたのだから・・・・




三つのニュースにレギュラー出演していた先生は、D君から訴えられた直後に各局まで出向いて行って、事細かに報告していました。どの局も「全く関係ないですから変わりなく取材させてください」と言われたと、長田寮で私たちに嬉しそうに報告していました。

「軟禁」「坊主にした」「NHKを使って恥をかかせた」とのメチャクチャな訴訟の内容で大きな痛手を受けて、長田先生は大手の新聞社で新刊で一万冊の出版がだめになりました。

映画では先生の役をする女優も決まり、テレビで連続ドラマするか、映画にするか検討中だったのも全部なしになりました。長田先生はそれでもD君の悪口など一言も言わず、裁判で傷付くことにならないかと、とても心配していました。



ところで、長田寮を出たD君のバックには、〇〇〇〇〇〇という不登校の団体と、そこの顧問を務める人権派の弁護士がべったり付いています。その弁護士が原告の弁護にあたりました。彼は裁判が始まってから終わった後の現在に及んでまで、D君を連れて《長田塾裁判》という講演活動を、全国的に開いて周っています。

D君の母親は全く訳の分からない迷惑事を何度もするので、長田塾の親や私たちから相当煙たがられていた存在でした。

一か月だけ長田寮で頑張れと母親から言われて入寮したのですから、D君が寮から一か月後に抜け出すのは当たり前です。もう一人の寮生S君を誘ってS君の実家へ向っていた途中、一台ずつ自転車を盗んでD君たちは警察に捕まりました。母親は我が子が警察の厄介になったというのに「仕事で来られない」と言い、反省の無いD君をどうしたらいいかと長田先生が電話で聞けば「坊主にして下さい」と母親から頼んだのを、私たち寮生はみんな傍にいて知っています。

D君のとった行動より、D君の母親がとった行動が、私たち寮生の中で信じられないほどのショックとして残っています。

D君はそれからまた一か月後に黙って寮を抜け出して、今度は歩いて豊田の方角に進み、公園で休んでいるところを何と暴力団の組長に助けられてしまいました。三日ほど事務所に寝泊りしてしまい、そこの組員二人に実家まで八時間以上かかって車で送り届けてもらったと言っていました。

母親から来たファクスにあった組員二人の名刺に不信感を持った長田先生は、天白警察署の幹部に聞くと、何と全国的にゆすりで有名な暴力団だと判明しました。警察署から「寮生やあなたが危ないから、もうD君を家に戻した方がいい」と言われた長田先生は、D君は暴力団にかかわってしまった事で退寮してもらう決意をしたと、私たち寮生に伝えました。

その晩、一家で寮に戻って来て「退寮します」と言い張るD君に向って「うちも暴力団に接してしまった以上、預かる事は無理だ」と寮生全員の前で長田先生が断わったのを見て、大騒ぎを始めたのは二人の姉妹でした。「Dが帰るなら私たちがこの寮へ入る」と言い張って動こうとはしなかったのです。二人がうるさく騒いで家族全員と口論したため、私たちは朝までみんな眠れませんでした。D君は根負けして長田先生と私たちに「今度こそやらせてください」と頼んだため、長田先生も寮生も断ることができなくなってしまいました。

ところが、D君は妹達が帰ったその晩に再び寮を抜け出して、名古屋駅で母親に会ったところをNHKの人に見つかって母親も同行して寮へまた戻りました。そこで皆の手紙を見て、心がきちんと決まったのです。

D君が全く変わってしまって真面目に頑張るようになって一か月ほどした頃から、寮の前に真っ黒のスモーク張りのバンが毎日停車するようになり、中に暴力団員風の男が必ず乗っていました。とても怖かったことを覚えています。そして二週間ほど後だったと思うけど、D君は攫われてしまい、天白警察署は少年課から刑事課に切り替えて誘拐されたD君の後を追いました。住所を何故暴力団が知っていたかというと、母親が関わりを持ちたくないと、もう一人の男を連れて暴力団の事務所に行ったのです。そこで大金を渡して、これを手切れ金にしてほしいと頼んだのです。その時、組長から「Dを応援してやりたいから住所を教えて」と言われ、長田寮の住所を教えてしまったのです。みんなこの軽薄な母親をホトホト軽蔑していましたが、ようやく四日後に警察の懸命な捜査に諦めた組員がD君を再び実家に送り届け、今度はD君は自らの意思で長田寮へ戻って来たのでした。

しかし、天白警察は「寮には絶対に預からない方がいい。暴力団が完全に心配なくなるまでアパートを借りて匿っていた方がいい。ただし、母親に教えるとまた暴力団に借りたアパートの住所を教える危険があるから、家族全員の承諾をとって住所をしばらく隠した方がいい」と長田先生に指導したようでした。それで本人を含む家族全員の前で許可を取り、アパートを借りて怖がっていたD君を長田先生が匿ったのです。当然指導員は、D君を毎日面倒を見ていました。軟禁されたのではなく、D君が怖がって外に出なかっただけなんです。ところが、それから四ヶ月ほど後に、住所を教えてくれないとごね出した母親から依頼された弁護士がD君を迎えにやって来ました。D君はそのまま弁護士の家で数日暮らし、家には帰らず〇〇〇〇〇〇に入寮したと聞きました。そして、三年後に暴力団の言葉一ついれないで、恩ある長田先生を被告にして裁判を起こしたのです。NHKに撮影許可を出したのは、他でもない母親と祖母です。高校入試を控えて寮生たちと皆で仲良く暮らしていたのに、その生活を断ち切ったのは「長田先生に付いて行け」と言った母親です。


D君を嫌っている子どもは、卒業生の中にいまだに一人もいません。彼は母親の勧めによって長田先生を信じていました。でも、支離滅裂な母親の起こした軽薄な行動によって長田先生を憎むしかなかった可哀相な犠牲者です。





   




私を含め、当時の寮生は全員立派に社会へ出て働いているか大学に通う身です。

「僕を豊田で助けてくれた人は、とても優しい人でした」と講演していましたね。

暴力団の組長が、何で優しい人なのですか? あんなに寮の皆の前で怖がって話してたのに。

平然と多くの人たちの前で嘘を付いていたのを、私はしっかりと会場で聞いていたんだよ、D君。

顔を出してもいいと言ってたのはD君とY君で、NHKの人にプレゼントやファンレターをもらって嬉しそうにしていたじゃない。

すごく良い子だったのに、すっかり人相が変わってしまってた。

高校へは行ったの? 今、ちゃんと働いているの? みんな心配してるよ。

長田先生は厳しかったけど、熱くて思いやりがありました。私たちは、みんな先生に感謝しています!

寮にいる間に、先輩や先生たちにいろんなことを教えてもらいました。そのおかげで高校を卒業して、今は働いています。

卒業してからも先生のところへは良く遊びに行って、洋服もたくさんもらいました。

みんなそれぞれの道で頑張っています。私は一番苦しかった時に先生に助けてもらいました。大好きな長田先生がイジメられていることが許せません。今度は私が先生を守る番だ。そう思って、これを書きました! 

D君、長田先生を逆恨みなんてしないで。恨むならお母さんとNHKでしょ? 嘘吐いて講演なんかしていないで、一日も早く元気なD君に戻ってください。みんな心配してるんだよ。


  


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