大連@
初めての中国の旅は中国の北の真珠と呼ばれている遼寧省大連でした
これは大連のキャッチフレーズで、渤海と黄海に囲まれた真珠のように美しい町と言う意味だそうです
位置的には日本の仙台ぐらいの緯度で気候も日本のようにはっきりとした四季がありますそうです
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大連@ 2007 11/29〜12/2 | |||
セントレア | 宿泊したラマダホテル(右) | 労働公園 | ホテルから朝の大連駅 |
1日目 初めての中国の旅は北部遼寧省の大連でした この旅は中国人研修生のK君が日本に来ていて知り合いになり、その後研修を終えた3年後に中国へ 帰国する時に「一度大連に来てください」と言われた事が発端です 自分の中国のイメージはテレビで見かけた北京の早朝の出勤風景です とにかく自転車が多く走っていて人口も桁違いに多いぐらいしかありませんでした しかし空港に着いてから市内まで行く途中にはマンションが立ち並び、宿泊した大連駅前には 超高層ビルが乱立し、車やバス、市電も走っていてとにかくびっくりしました こんなところは一部の場所だけかなと思いきや市内全体が大都会なので勉強不足でした・・・ 初日は午後2時ごろに大連周水子国際空港に到着する遅い便で、あまり時間がないので とりあえず市内のホテルに向かい、チェックインしてから空港まで迎えに来てくれたK君と近くの労働公園に 散歩に行き、夕食はK君が予約をしてくれていた「全聚徳」と言う店で豪華に北京ダックを食べました 今夜はそのままホテルに戻り就寝です |
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田舎のバス停 | K君の実家 | オンドルに座る | 近所のコンビニ |
コンビニ外観 | K君の実家の中庭 | 屋上からの風景 | お母さんの手料理 |
皮口港(有料) | 皮口港の漁船 | 開発区(YKK) | 開発区(キャノン) |
友好広場 | 大連テレビ台から夜景 | 旅順駅 | 白玉塔 |
2日目 今日は長距離バスで市内から約100km離れたK君の実家の両親に会いに行きます 市内からは2:30ぐらいの道のりで、実家に着くと家の前にK君の両親が迎えに出てくれていました 家に入ると中庭があり暖かい雰囲気の良い家です しばらくするとお母さんの手料理やビールお酒を出してくれて、K君の通訳で楽しく過ごすことが出来ました 日本で知り合った中国人研修生の家でこうして食事をしている、不思議な縁を感じる時間です 夕方になり大連市内に戻る前に近くの町の港に案内してくれましたが、何故かこの港に入るのには有料で ゲートをくぐると堤防が先端まで長く延びていて岸壁には中国漁船が2艘係留してあるだけでした 大連市内近くの経済開発区には日本の企業が多数進出していて、YKKやキャノンなどの工場がみられました 夕食は昨夜贅沢をしたので、大連駅近くの「餃子の王将」で簡単に済ませました |
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関東軍資料館 | 水師営 | 白玉山入場券 | 203高地入場券 |
関東軍資料館入場券 | 水師営入場券 | 大連テレビ台入場券 | バス乗車券・皮口入港券 |
3日目 今日は日本から大連に一緒に行く事になった同僚のSさんが是非行きたいと言っていた旅順に行きました Sさんは自分よりもかなり年配者なので、日露戦争や旧満州などに興味があるようでした 前日に予約しておいたタクシーで旅順の半日コースは3人で行けばかなり安上がりな感じです このときはまだ自由に旅順の観光も出来ないときでしたので、タクシーの運転手(女性:江さん)が「ここでは 日本語で話してはダメです」とか「ここでは写真撮影はダメです」とか注意してくれましたのでずいぶん助か りました 白玉山から眺めた旅順港や激戦地のひとつである203高地やロシアが旅順を日本に明け渡す時に日本の 乃木軍司令官とロシア軍司令官のステッセルが会見を行った水師営や関東軍の資料館などを見て回りました が戦争の生々しさや悲惨さが感じられて、今は観光地ですが物悲しさを感じました 最後夕食はSさん希望の上海カニを食べる事になり、有名な「天天漁港」に行き、またまた贅沢な夕食となり ましたが日本に帰れば多分食べられないのでこれもありかな〜と思いました |
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案内してくれた江さん | 白玉山から見た旅順港 | 大連市内に沈む夕日 | マップルマガジン「大連」 |
4日目 大連最後の日です、日本への帰国便が早朝8:10なのでホテルでの朝食も食べられず、タクシーで空港 まで行きましたが、早く着きすぎて空港内の照明もあまり点いていなくて薄暗い感じです 6:40頃チェックインが始まったのでK君に大連でお世話になった御礼とお別れの挨拶をし、「また来年でも 来れたら良いね・・・」と言いながら別れました 4日間行っても初日と最終日は殆ど時間がないので、実際は2日間の大連の旅でした |