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11/10からの松山で行われる同期会(大学時代のサークル、サイクリング部)に先立ち、四国の秀峰東赤石山に登ってきた。この山は二百名山の中に数えられていて、田中澄江の「花の百名山」にもあげられている。時間を有効に使いたいので、前日の名古屋発松山行夜行高速バスで出かけた。 2019.11.9(土) 東赤石山&別子銅山跡 前日夜の11時に出発した高速バスは、三島川之江インターにまだ暗い朝の5時頃到着。松山行で、ここで下車する人は私だけだ。レンタカーは、新居浜で借りているので、伊予三島駅まで歩くこと4km、約1時間。暗い中ひとり歩く。 朝一番の電車で伊予三島駅から新居浜まで行き、レンタカーで筏津登山口へ。9時ちょうどに登山口を出発。標高差1050mあり、けっこう傾斜がきつい。先日の100kmウォークの疲れもまだ残っているのか。二百名山ではあるが、登山道はわかりにくい。何回か引き返しては、修正しながらの登山だった。 |
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東赤石山筏津登山口 |
頂上近く分岐 |
渡渉も何回かあり、岩場ありとなかなか変化にとんだ面白い山だ。花の百名山とはいうものの、この季節はほとんど見られなかったが、少し残っていた。登り始めて3時間15分、12時過ぎに頂上到着。だれもいないので自動シャッターで登頂写真を写し、昼食にした。 頂上からは、何よりも瀬戸内海の眺めがいい。瀬戸内海に浮かぶ小島も美しい。西を向けば石鎚山、東を向けば剣山。四国の山々が美しい。 |
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頂上から瀬戸内海 |
ひとり頂上自動シャッターで |
頂上から石鎚山 |
頂上から八巻山方面 |
15時前に下山できたので、帰りに旧別子銅山跡に立ち寄ることにした。下山した登山口から車で10分ほど新居浜方面へ帰ったところに入口がある。全部を見て回るには半日かかるので、入口から30分ほど山に入ったところで引き返した。しかも東赤石山を登ってきたところであり、ちょっと疲れていた。 廃坑になってからそのままの状態だったらしいが、今では住友グループが観光資源として整備してきたようだ。接待館跡とか、小学校跡とかの標識が立てられていて、当時の面影を残している。多くの人がこんな山奥に住んでいたとは興味が募る。 |
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別子銅山跡案内図 |
接待館跡 |
小学校跡 |
案内板 |
約1時間ほどで戻ってきて、新居浜のホテルに向かった。さすがに昨日は高速夜行バスで、今日はほとんど寝ないで山に登ってきたので、疲れていたのか、この日はしっかりと寝ることができた。 2019.11.10(日) 別子銅山記念館&マイントピア別子 本日、同期会は松山に15時集合となっている。本日も別子銅山記念館とマイントピア別子を予定していたので、朝から出かけた。 まずは、別子銅山記念館だ。新居浜市内から車で30分程度で到着する。ここでは、別子銅山の歴史を体感することができる。1691年に開坑して、1973年に閉坑するまでの283年も掘り続けられたそうだ。 海抜1200mから掘り始めて、最後はマイナス1000mまで営々と掘られたとのこと。驚きですね。記念館には貴重な資料が展示されていて、興味深い。公営でなく、住友グループが経営してきたようだ。蒸気機関車に井桁のマークがついている。 |
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別子銅山記念館 |
記念館にある機関車 |
マイントピア別子の坑道跡 |
修復された観光坑道 |
次に、マイントピア別子に行ってみた。記念館から車で10分ほどのところだ。ここは、最後の採鉱の本部があったとのこと。テーマパークになっていて、坑道を整備して、観光用に作られている。当時の様子を知るにはいいが、ちょっと観光目的の色が強い印象だった。 、 |
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観光坑道の中 |
マイントピアを走るトロッコ列車 |
午前中にこの2つを見学して、ごごから本日の同期会のある松山(道後温泉)に向かった。 登ったことのない山と、初めて見た別子銅山。勉強させていただきました。 |
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