大峰山(H22.5.3〜5.5)

H22.5.3(月)1日目

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道〜大峯奥駈道」で修行してきた。

名古屋6時発の近鉄電車で出かけた。大和八木、橿原神宮前と乗り替え、吉野線下市口で下車。昨年もこの時期「大台ケ原山」に行ったが、このコースだ。(大台ケ原は大和上市下車)下市口駅からは、洞川温泉行きのバスに乗る。本日、大峰山への参詣者も多く臨時のバスが出た。終点洞川温泉には、10時15分頃到着。

10時30分頃歩き始めた。洞川温泉は信仰の山「山上ヶ岳」への起点となるところでもあり、その昔から栄えていたのだろう。レトロ感を漂わせている。街並みを通り抜け、母公堂に手を合わせ、45分程度歩いて清浄大橋に到着する。

ここが登山口で、女人結界門のあるところだ。「山上ヶ岳」は、いまでも女人禁制の山だ。結界門の前で、白装束の山伏と数人の信仰者がお祈りして登る準備をしているところだった。


          女人結界門                    洞辻茶屋

11時25分頃登り始めた。山上ヶ岳大峯山寺を目的としている信仰の方が7割程度だろうか、一般の登山者は少ない。ほとんどの人がストックではなく、木の棒()を持っての登山である。

ここでは、山の挨拶「こんにちは」ではない。「よぉ、お参りぃ」とか「お参りぃ」である。本日が大峯山本堂の戸開式(山開き)だったこともあって、信仰の方が多かったのだろうか。

登り始めて40分程で、「一本松茶屋」へ到着。一息入れる。さらに1時間程登ると、吉野から通じている「世界遺産大峯奥駈道」と出会うところ「洞辻茶屋」に到着だ。大峯奥駈道は、紀伊山地の峰々を結んで、北の吉野から南の熊野までの約170qある役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修験道である。平成16年に世界遺産に登録されている。熊野古道はよく知られているが、こちらの道は知る人が少ない。

洞辻茶屋を13時20分に出発。しばらくすると「鐘掛岩」と呼ばれる鎖場にさしかかる。頂上大峯山寺にほど近くになったところに、「西の覗」が現れる。ここは、体にロープをつけて、岩の上から断崖絶壁を覗きながら、心を清める修行の場の一つだ。

「親孝行するかぁ」「はあ〜い」「人に親切にするかぁ」「はあ〜い」「声が小さぁい」「はあ〜い」という具合にやっているが、私は遠慮した。

    
      西の覗               山上ヶ岳頂上 大峰山寺

大峯山寺本堂、山上ヶ岳頂上に到着したのは、14時20分だった。山上ヶ岳(1719m)は、通称大峯山と言われ、大峯山脈の中でも最も聖地とされているところだ。厳かな雰囲気に包まれている。

「大峰山」という山はない。深田久弥の百名山もここ「山上ヶ岳」なのか「八経ヶ岳」なのかは明確にしていないが、この山は他の山と違った趣のある山だ。

本日は、龍泉寺さんの宿坊に予約を入れている。15時前には宿坊に入り、疲れを癒した。夕食は4時30分頃からだった。もちろん精進料理だ。御飯に味噌汁と高野豆腐3切れ、昆布巻き、椎茸が主食だ。

信仰の方々は、また洞川温泉へ下って日帰りかまたは、温泉宿への宿泊のようで、宿坊に泊まったのは、登山者だけだった。食事が終わり、明るいうちから布団に入るが、当然まだ眠れない。携帯ラジオを聴きながら眠れるのを待った。

 

H22.5.4(火)2日目

3時頃には目が覚めた。朝食は5時頃から始まった。昨日の夕食とほとんど同じ献立である。

5時45分頃出発した。本堂の前を通って南の方向へ奥駈道が続いている。6時になると後ろから法螺貝を吹く音が聞こえてきた。神秘的で信仰の山であることを実感する。

小笹の宿を越え、やがて「阿弥陀ヶ森分岐」に到着。ここにも女人結界門が立っていて、ここを抜けると一般(?)の山になる。ここまで、やや下ってきたが、しばらくしてまた登りである。大普賢岳方面へ向かう。途中小普賢岳のピークがあり、やや下って登り返したところが大普賢岳だ。8時前に到着した。

また下って、今度は「七曜岳」に続く道を登る。この山は最後に鎖場のある岩山だ。頂上はそれほど広くない。来ていた登山者とお互いシャッターを押して下る。


          七曜岳頂上                    行者還岳頂上

次の峰は、「行者還岳」だ。またまた登り返して「行者還岳」へ10時30分すぎに到着した。頂上は立木でふさがれていて、見晴らしは良くないが、何やら神秘的な場所だった。ここの頂上は奥駈道から外れているため、もう一度奥駈道へ引き返して行者還小屋へ下っていく。

行者還小屋へ到着したのは11時過ぎで昼食にした。宿坊でいただいた弁当であるが、御飯の上に梅干と昆布が載っているだけの弁当で、お寺さんには申し訳なかったが疲れもあって一口しか喉を通らなかった。

まだまだ、奥駈道は続く。アップダウンの厳しい道だ。しかし、東に大台の山々、西に稲村ヶ岳、南に熊野へ続く奥駈道である峰々、薄い霞みの中雄大な姿を眺めながらの尾根歩きだ。13時前に「奥駈道出会」に到着。行者還トンネル西口から登ってくる登山道と合流するところだ。

すでに歩き始めて7時間が経過している。天気も良く暑さで体は疲れてきていた。ここからまだ、本日の宿泊地弥山小屋まで2時間を要する。聖宝の宿跡を通過し弥山を目指すも、疲労がピークに達してきた。しかも最後に標高差300m以上の登りになっている。今までこのような経験はないほど体が重く、足が上がらなかった。休み休み登って、弥山小屋に着いたのは15時だった。休憩を含んで約9時間15分の修行の道だった。

 

H22.5.5(水)3日目

朝5時頃目を覚ました。朝食前に弥山頂上のある「天河奥宮」へ行ってみた。食事を済ませ、準備を整えて6時30分頃出発。「八経ヶ岳(1914.9m)」へ向かった。大峰山の最高峰、近畿の最高峰である。

頂上からは、紀伊山地に連なる峰が一望できる。15分程度頂上からの展望を楽しんだ後、下山することにした。3日からほぼ同じコースを取っていた栃木から来ていた人とここで別れた。弥山に戻り狼平方面に下った。狼平(755)、栃尾辻(920)と通過して天川川合に到着したのは11時15分だった。


              弥山頂上 天河奥宮                八経ヶ岳から弥山方面

今回のコースは、深田久弥氏と同じコースだった。「日本百名山」には、やはり山上ヶ岳の方を中心に記述されていて、八経ヶ岳の記述は少ない。私も山上ヶ岳の方が印象深い。余談であるが、皇太子様もこのコースを20年ほど前に来られているとのことだった。

今回は、まさに修行だった。いくつもの峰を越えてひたすら歩いた。しかしその中で紀伊の奥深い山々、世界遺産の道を楽しめた。そして、いろんな経験ができた。お寺の宿坊にも泊まった。足が上がらないほどの疲労も経験した。物語がまた一つ増えた山旅だった。

 

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