環境保護運動が興した問題

99/02/01


環境保護運動により見えてくる日本の問題
・ 朝日連峰に建設中の大規模林道や南アルプススーパー林道に疑問
 具体的にはこれが私の自然保護ということを認識した出発点。
1960年代の高度成長期のまっただ中に青春時代を過ごしてきた私達が、環境保護を言うのには少し歯がゆさがある。
何故なら個人の生活を省みても、その恩恵を十二分に受けた年代だからだ。
世の中で仕事を生き甲斐に生きるお父さん達がもっとも輝いていた時代。
いつの時からかふと気が付いてみると、自然破壊とかゴミ捨て場やダイオキシンなどの環境ホルモンの問題が深刻になっていた。
生活を豊かにするために一生懸命働いてきたお父さん達。お陰で先の敗戦でから出発した我が日本は、今では世界第二位の豊かな国だという。
でも気が付いてみたら身の回りに深刻な問題が山積み。本当に豊かな国だろうか?
この事に早くから気が付いて運動を進めてきた一部の人達がいるにはいた。しかし、それを言うことは社会との軋轢であった。
最近になり、社会的にそれらの運動も社会から認知されつつある。
それの最初の事例が、青秋林道工事中止であろか。(大分前のことになるが)
社会から認知されて「自然保護活動」が日の目を見ることにより、又別の問題がよく見えるようになった。
それは戦後の農山林業従事者が、田舎から都会へ都会へと集まり、日本が繁栄するようになったことと反比例するように地方で過疎が進んだ。
過疎が進むと地方は何か事業を興し、それ以上過疎が進まないように奥山などに仕事を求めた。田舎に残った、あるいは残された人達の生活を守るため。いわゆる過疎対策という名の公共事業。それにつけ込む大手のゼネコン。地方の人はその下請け。この構図は全国皆同じ。ピンハネ的公共事業。
高度成長期には奥山の公共工事はあまり目立たなかったが、世の中が落ち着いてくると、今まであまり問題視されなかったこれらの事業も、広く人々の目にさらされ、これに異を唱える声が大きくなった。
それが自然保護運動として、今大きなうねりになりつつある。
それらの運動が実り、長年実施されてきた事業や準備を続けてきた事業の一部が、中止を決定するまでになった。(時のアセス導入)
しかし地方の過疎をはじめとする各種の問題は、公共事業が無くなって自然が残されても問題はさらに残っている。むしろ問題はその地方としてはさらに深刻になってしまうのは皮肉だ。

自然保護で飯は食えない!
「自然保護で飯は食えない」「作れと言えば山のてっぺんまで道は作るぞ」。
このように言う人は沢山いる。少なくとも中山間地域で生きている人達の中には沢山いる。
理屈の中では自然保護の重要性を百も承知した上である。
なぜ彼らがそう言うのか? 農政を例に挙げて考えてみる。
戦後の農地解放や食糧増産政策を受け、全国で土地改良事業が実施されてきた。
平野部の広大な農地から山間地域の農地まで、南から北の果てまで全国一律に米を作るための土地改良事業。
その結果米余りに行き着いた。そこでせっかく高い金を掛けて造成した農地に、米を作らせない休耕政策を、もう長いこと続けている。一方で相変わらず土地改良事業の続行。農家がいやだと言うのを無理矢理引きずり込みながらの土地改良事業。
休耕をした農地には雑草が生え、荒廃してしまい直ぐには農地に戻らない。又多額の費用と手間がかかる。
米一色の耕作を勧めてきて、片方では農産品の輸入自由化。輸入自由化の方が日本の米価を守るのには良いのだという。
農業をする人達にどうして生きていけというのか?????ここの国の政府は……。
都市近郊の農家の人達は土地改良事業により効率的に米づくりが出来るようになり、そのほとんどが兼業農家である。会社や工場に勤めながらの米づくりである。勤めだけの方がむしろ良いのだが先祖からの田圃を自分の代で荒れ地にしたり手放してはいけないと言う。まだ百姓魂が残っているのだ。
中山間地域ではなかなか勤め口が少ない。そこで地方の首長さん達は手っとり早い林道工事やダム造りの話に乗ってしまうのだ。そうして少しでも過疎を防ごうと必死なのです。
だから田舎では公共工事に対する見方は自然破壊と言うよりも生活の防衛とか地域の生き残り策としての公共事業なのです。
自然保護を大上段に言い張る人には決して心を開いて本音の話をする人はいない。
じっくり話せば誰も奥山まで壊す公共工事などしないに越したことはないと言います。

大規模林道中止後のこの地域はどう生きればいいのか?
 これが命題です。
今この事について回答を出せる人が居るでしょうか??
試行錯誤でいろいろ言う人は大勢居ます。
平等とか地域格差とか人の生き方とか価値観の違いが整理できません。
自然保護ということは誰も理解します。だから林道工事も中止になったのです。
でもこの地域は今後どの様にしたら良いのでしょうか。
それはこの「地域の人が考える事」と言っていて良いのでしょうか?
この地域の人達にとって頼みもしないのに、余所から大勢押し寄せてきて大規模林道反対、自然保護絶対と言われ中止になった林道工事。
林業はだめ。米もだめ。観光も人が来無い。企業も山奥には工場を造らない。
ないないづくしでどう生きればいいのか。自然保護に熱心な人、団体の皆さん。自然保護と地域振興をセットで考えてもらえませんか?
自然を残した豊かな田舎で、誇りを持って生きていくことが出来る世の中。どうすればいいのでしょうか??
田舎にいても子供達には高度な教育をしたい。これは親であれば誰も望むことでしょう。それにはお金も必要です。豊かな自然の中で子供達がのびのびと育てられる世の中。それは都会も田舎も皆同じ。都会では職場が沢山あります。田舎では選択の幅がありません。
大規模林道中止大いに結構。ダム工事中止大いに結構。自然保護大いに結構。
そこで日本の田舎はどう生きればいいのでしょうか???
窮鼠猫を噛むということわざがあります。田舎の我慢にも限度があります。
田舎に住む人々の中にもいろいろ考えて、新しい生き方を実験する人が居るにはいます。
しかし皆がそれをすることは出来ません。