ゴミを考える

                           (98/6/5)


都会でも田舎でも山の中までもゴミが氾濫。
ゴミの処理を皆さんどのように考えますか??

◆◇◆事例紹介◆◇◆

血中に高濃度ダイオキシン  [読売新聞記事]1998/6/5

渦巻く激しい怒り  [茨城県新利根町の清掃工場周辺]

新利根町(東京から数十キロメートルの距離)のゴミ焼却場周辺の住民の血液中からきわめて高濃度のダイオキシン類が検出されたことが、摂南大学薬学部の宮田秀明教授の調査で分かり、4日から京都市で始まった環境科学討論会で発表された。
これまでに男性13人、女性5人の調査結果がまとまったが、血液中の脂肪1グラム当たり最高は463ピコグラム(ピコグラムは1兆分の1)だった。
平均は149ピコグラム。いずれも過去に国内で調査された一般人の平均値の4−7倍にのぼった。
世界的にも異例の高濃度で、宮田教授は「焼却炉からの排ガスが原因と思われ、周辺住民の早急な健康調査が必要だ」としている。


このニュースは昨日6/4全国を駆けめぐった。
新利根町の地理的位置 : 上野からJR常磐線で我孫子から利根川を渡り、取手を過ぎて直ぐの佐貫駅下車。車で20分ほどの距離。
龍ヶ崎市のすぐ隣です。
ゴミ焼却炉とは : これは何処にでもある市町村の施設です。此処では1市2町で運転しています。燃やしているのは住民が排出している普通のゴミです。(皆さんも何気なく出しているアレです)
新聞の扱い方 : この記事は全国紙で大きく扱われテレビ各社もトップニュースで扱ったので、皆さんも既に承知していることでしょう。読売新聞だけを見て今これを書いているので他社は分かりませんが、高濃度のダイオキシンが人体から検出されたことは良く書かれている。更に記事にほしかったのは住民運動の経緯と、行政側が対処してきたこれまでの経緯を同時に書いてほしかった。
此処までの経緯 : もう随分以前からダイオキシンの心配があるので「調査をしてほしい」と、住民は行政側に要望し続けてきたが、法令や条例でこの取り扱いが規定されていないことを理由に、公には調査がなされなかった。今回、行政側の対応は不十分と批判、指摘されているが、行政側が必要性を痛感して焼却炉の改善(改修)をしてきたことも事実。


新利根町だけではない焼却炉

皆さんの住んでいる周辺にも焼却炉は普通の施設としてざらにあります。また、皆さんも何気なく毎日ゴミを排出しています。
ですからこの問題は大なり小なり全国至る所で発生している問題です。
今分別排出の運動を各地で実施しています。本気で取り組んでいる人も多くいますが、全く気にしないでいる人も大勢います。
このような状況では、今後更に各地でこの種の問題は発生します。[確実に。残念ですが]
こうしている間も焼却炉は燃えているのです。ダイオキシンも又排出されています。

解決策はあるか???

  1. まず第一にゴミの絶対量を減らす。それもかなりの率での減量が必要。
    [しかし現実にはこれはかなり難しい。]
  2. 便利さを享受するとダイオキシンに汚染される。[現実にプラスチック類を除いた生活が現在可能だろうか??]
  3. 焼却炉の改善 : これは今稼働している焼却炉に比べ、遙かにダイオキシンを排出しない炉はある。従って作り替えれば今より格段に改善する。しかし多くの焼却炉はそれほど古いものとも言えず、何とももったいないし、多額の建設費が必要である。「健康はお金に換えられないので、ドシドシ立て替えよ」との行政側への強い支持(要求)が必要。公共団体は今、どこも財政難である。此処で焼却炉を新しいタイプに建て替えるためには、他の事業を減らし重点的に此処へ振り替えなければならない。[そのようなことが出来るか??]
  4. 先行事業を減らせるか? 今実施している事業を中止しても「焼却炉」建て替えに変更できるか。これも難しい。一つ一つを取ればどれも必要な事業なのだ!
  5. 問題は数え切れないほど沢山ある。皆さんも考えてみて下さい。どうしたらこのダイオキシンを大幅に減らすことが出来るかを〃

解決策?


この問題は行政を叩けばとか、企業を叩けばとか、誰か罪人を作れば解決できることではない。一人一人の結晶である社会が、国が、そして私達すべてが、一体になって立ち向かわなければならない大問題です。
人ごとではなく自分が原因者であり、被害者であるわけですから。。。。。

まとまりのない意見になってしまいましたが、これを読んで下さった方々からご意見やご批判をいただければ幸いです。



◇◇きれいな山にゴミの山がある◆◆

何処の山に行っても最近は「ゴミは持ち帰りましょう」の看板が目に付く

しかし、ひどい場合はその看板がゴミの山で埋まっていることもざらにある(全くひどい話だ)

いわんや郊外の交差点周辺、道路の路肩、チョット入った林の中。至る所にゴミ ゴミ ゴミである。これが我が愛する日本の実状だ。
何とか成らないか????
このような暮らしをしている人達が山に入ればゴミは置いてくる。当然の結果である。

ゴミを山に置いてくる者が多い中で、下山をする道すがら「ゴミ」を拾ってくる人も少数だがいるにはいる。

今年(98年)5月のゴールデンウィークも終わりに近い3日。朝日連峰小国口ルートを数人のグループが、手に手にビニール袋を持ってゴミを拾いながら下りてきたのを私は目撃している。世の中まだ捨てたものではない。(思わず嬉しくなってしまった。林道終点の駐車場も見違えるほどキレイに)
4日に私は福島県須賀川市から来られた、中年のハイカーを案内してこのルートを往復してきた。
ゴミが一つもなく実に気持ちのいい思いで「ぶなの森」の散策が出来た。来訪された2人もすがすがしいと言って帰られた。
このゴミを拾った人達はすばらしい人達である。しかし、しかしである。この道を歩いた一人一人がゴミを落とさずに帰れば、それだけで良いのだ。わざわざいやな思いをして「ゴミ」を拾う人がいなくても良いのである。

一人一人の責任で山も里も街もゴミはキッチリ処分しましょう。[美しい日本の山野]