2000/9/24
今年は富士山でやっとトイレ問題が表面きって取り上げられた記念すべきミレニアムです。
遅きに期した感はかなりあるが、でも一歩前進である。
2000/9/2毎日新聞29面より
麗しい姿とは裏腹に、汚物の垂れ流しなどが問題化している富士山。今年の夏山期間には、これまで最多の5基の公衆バイオトイレが標高2000メートル以上に設置され、登山者の屎尿処理に画期的な力を発揮した。5基で計約2万3500人分を処理。富士山の屎尿問題を改善する有力な手段の一つとして新たな流れを作りそうだ。このうち2基を設置した環境NPO(非営利組織)「富士山クラブ」が9月1日までの2日間、富士山の山小屋などのトイレ現況調査を実施した。コスト面や厳しい自然条件などから思うように改善できない山小屋側の悩みも浮かび上がった。[遠藤和行、笠井光俊]
5基のトイレは静岡県側の須走口登山道5合目(標高約2000メートル)に4基、山梨県側吉田口5合目(標高2230メートル)に1基を実験用として置いた。
処理方式は杉チップやおがくずなどと屎尿を混ぜて微生物を繁殖させて分解するもの。
5基それぞれ稼働時期が異なるが、稼働期間中(7/2〜8末)で23,500人の屎尿を処理した。
評判は上々で静岡県富士山保全室は「予想以上に多く処理でき、能力に満足できた。運搬などの課題は残るが5合目より高い場所でも公衆トイレとして使う見通しが立ちそうだ」と喜ぶとある。
富士山5合目以上には山小屋、売店が44あり、それぞれにトイレがある。ほかに公衆トイレが4箇所。その6割以上が放流式で、残りの大半が屎尿をそのまま土壌にしみこませる浸透式。
売店などは8月下旬で閉じられ屎尿が投棄されるという。
山小屋のほとんどが屎尿処理方式を改善したいと考えているそうです。
しかし改善費用がネックになり改善は進まない。
登山者が極端に少ない山は別として、富士山のように日本の顔とも言える山や各地域で地域が誇る「おらが山」などの場合を考えてみたい。
1.山小屋がきちっと処理すべき
確かに山小屋は料金を徴収していて営利施設といえる。しかし、一部の小屋を除けば山小屋の料金は街中に比べて遙かに安い。
小屋の性格からエコトイレなどを設置して屎尿処理をきちっとするだけの料金は何処をひねっても出てこない。小屋は歴史的経緯があって、其処に古くから登山者の安全を期して建っている例が多いのではないか。一応満足を得るようなトイレの建設費を負担できる小屋は日本全国一つも無いだろう。
2.山は国民の財産だから国が作るべき
百名山に数えられているような山は登山者も多く、全国から登に来る。
地域の人達が登よりも、他地域者の方が圧倒的に多いと言える。
街中で屎尿を処理する場合、例えば下水道を例にすれば、国の補助金が1/2とか2/3とか一定の基準が出来ていてそれにより整備している。街中に住んでいる人は水洗トイレは当たり前と考えている。それが補助金で整備されていると言うことをどれだけの人が認識しているのだろう。
どうして山のトイレを作るのに補助金制度が確立していないのか。
全国の山小屋の数を拾ってもたかが知れている。せめて百名山と言われている山に一山3箇所ぐらい作っても300施設。
1基3,000千万円として100億円弱。これを3カ年とか5カ年で建設すれば爪の垢ほどの金額。
国が年中言われている「不要の公共工事、無駄遣い」などとは言われないだろう。
3.それでもエコトイレは作られつつある
私は未だ見たことがないが、北アルプスの槍沢ロッジのトイレ。雲取山のトイレ。朝日連峰稜線小屋のトイレ。飯豊連峰カイラギ小屋のトイレ。
これらのトイレは本当に完璧か?と言われれば必ずしもそうではないかも知れないが、現在の技術、資金から考えれば最高の施設といえる。
富士山で垂れ流し方式なのに比べれば月とすっぽん。
X X ダムや★★堰建設でゴーゴーの非難を受けているが、その費用のごく一部で快適な山のトイレが建設できる。そして何よりも水源の汚濁が防げるのである。
「梓川の水は飲めない」と言われて山小屋から出る大腸菌問題が提起されてもう随分になる。あの河童橋の下を流れる清流の水が飲めないのだ。
私は山のトイレを奇麗で安全な施設にするのは国や公共団体の責務と考える。それは都会の人達の大切な飲み水の安全を守るためにも、清流と言われる川を保つためにも。
「山登りは一部の物好きのしていることだから」と言わずに是非奇麗なトイレを山に作ってほしい。そしてより多くの人達が山に登り、山や木や川や鳥と接してほしい。都会の垢が洗われてきっと癒されて満足してもらえると信じて止まない。
山に登ればこの願いを理解してもらえる。
山も川も森も国民のかけがえのない財産なのだから。