竹 馬 の 友

2005・12・05


  私 達

 50数年ぶりで幼馴染とこの度「角楢小屋」に行った。
昭和26年に私達は小学校入学。その時からの友である。
その頃は太平洋戦争の終戦から未だ数年後という社会状況から、貧しい社会であったはずである。
でも、私達はそのような認識、意識は無かったが。(今思い出しても、まったく意識にそのようなことはないのである)
思いおこすと兄たちが着古したツギハギだらけの洋服。袖口は鼻をかいでツルツル。肘や膝はツギだらけ。
青っ洟を垂らしたガキども。今の子供のようにTVゲームなし。塾なし。全員暗くなるまで外での遊び。
家で勉強などした記憶が無い。親に仕事を言い付けられなければ暗くなるまで戸外での遊び。

近年その頃の同期生が集まり、同窓会をしている。
その折に「角楢小屋」の話を私がして、N君が今回、私の口車に乗って参加した次第だ。
彼は今までに山登りやハイキングをしたことが無かったそうだ。それがいきなり初冬の角楢小屋。
今年は例年に無く平地に雪が降り、すでに小屋の周辺は雪原になっていた。

私達は利根川が太平洋に注ぎ出る所。利根川と太平洋に挟まれたその名も波崎町。山とはまったく無縁の、雪はほとんど降らない暖かい地方で生まれ育った。
N君は11月の積雪でさぞかしびっくりしたことだろう。

新年(春山から夏)にはもっと沢山の友人にこの「角楢の森」を見せてやりたい。
竹馬の友とのツーショット


車止めに勢ぞろい ムキダケ(煮物が好い) ナメコ(プリプリの) ナメコ
角楢小屋にて 角楢小屋にて(顔が赤い酔いよい)

初参加” N君の角楢雑感

 還暦を過ぎて、初めて山小屋の生活を体験した。
幼馴染みの友人に「山形県西南端の町小国町」へ連れていって貰った。十一月の半ば過ぎなのに積雪がありびっくり。
自分の住んでいる町は関東地方でも気候の温暖な所なので(茨城県西東端波崎町千葉県銚子との県境)雪が積もることなどはめったに無い。
浅瀬の川を何回か渡り道中渓流に懸かる吊り橋が三ヶ所、三本目の吊り橋が十センチぐらいの木の丸太をワイヤーで括りつけた橋を渡る時は緊張感が全身を迸る感じがした。
以前は一本のワイヤーしかなく蟹歩きで渡ったそうだ!!一緒に案内してくれた通野さんが話してくれた

道中 森の中で天然のナメコを友人が見つけ見せてくれ、それを猿の如く木に登り採ってくれたのには唖然とした。
角楢小屋までは一時間位で着いた。周りは一面の雪であった!
倒木した枯れ木を伐採してきてマキ割りをした。
友人は小屋の冬支度もすると言っていたのが納得
ろうそくとランプのような物で明かりを取り、これがまたレトロで良い。マキスト-ブで暖をとりながら採ってきた天然のナメコ汁、初めて食した味は格別でした。春になりブナの原生林が芽吹くころまた是非行ってみたいと思っている。
普段 不自由のない生活が当たり前ようになっているけれど、先人や祖父母たちの暮らし振りを体験でき有意義な時間であった。